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 三人で朝食をとり、三人で出かける。三人で車に乗って学校へ向かうのは妙な居心地がしたが、それよりも学校へ行くことに詩乃は緊張していた。学校へ行けば、麻里がいる。ちゃんと話すと決意した心に揺るぎはない。けれども、いざ本人に会うとなると緊張するのだ。

「逢坂さん、顔を上げなさい」

 駐車場に車を停め、校門をくぐったところで、高砂がそう言った。ここからは、教師は教師用の出入り口へ向かい、詩乃は一人で生徒用の昇降口へと向かうことになる。高砂を見上げると、女教師は口角を上げた。その後ろでは、西園寺が見守ってくれている。

「ちゃんと顔を上げて周りを見れば、見えてくるものがあるはずよ」

「……はい」

「ほら、行っておいで。胸を張って」

 背中を軽くたたかれて、詩乃は歩き出した。昇降口に入り、靴を履き替えるときに麻里の下駄箱を見たら、彼女はもう登校していた。否応なく緊張感が増す。

高砂に言われたとおり、顔を上げて廊下を進む。踊り場ごとに息をついて、いつもよりも時間をかけて教室にたどり着き、扉の前でまた息をつく。意を決して扉を開けた。

 教室内には人が少ない。教師が出勤する時間に合わせて早く登校してきたからだ。朝礼開始時間まで、あと三十分はある。

麻里は自分の席にいた。詩乃と目が合うと、彼女は視線を逸らすことはせずまっすぐに見返してきた。その表情は硬い。いつもの明るさが無い。明るさを奪ったのは詩乃だ。小さく息を吸い込んで、詩乃はまっすぐに麻里のもとへと向かう。

「……麻里、おはよう」

「…おはよう。大丈夫なの?」

「うん。あの…。あのね、話があるの」

「何?」

 一応会話はしてくれるが、こんなに固いやり取りは初めてだ。教室にいるほかの生徒たちも、普段らしからぬ様子をそっと見つめている。

「あの…」

「別に、話したくないならいいよ。待つって言ったの、あたしのほうだし」

 言って、すっと視線を逸らす。その瞬間、詩乃は思わず手を出していた。

「え?」

 麻里の腕を引っ張り上げて立たせ、そのまま教室を出る。

「ちょっ、詩乃! あたし今日日直で!」

「いいから!」

 どこなら話が出来るだろう。考えるまでもなく、足が自然と向かったのは生徒会室だった。鍵ならいつも持っている。

「お、斎川と逢坂?」

「逢坂昨日早退したって…」

 引っ張っていく途中で、浩(ひろ)章(ふみ)と浩倫(ひろみち)に会った。この際だからと二人の袖も引っ掴む。

「うおっ」

「おい!?」

「来て!」

 朝一で、生徒会役員の三年生四人が廊下を走る。普段の詩乃なら絶対にしない。けれども、今は何も気にならなかった。

 生徒会室の鍵を開けて、四人でなだれ込むように中に入る。そこで、詩乃はやっと息をついた。ほかの三人はぽかんとしている。

「えーと、何これ?」

「なんで朝から拉致されてんの、俺ら」

「ちょっと詩乃、どういうつもり!?」

 上がった息を整えつつ、詩乃は三人をまっすぐに見た。中央に麻里がいて、その左右に浩章と浩倫がいる。三人に向かって、詩乃はまず言った。

「……みなさん、おはようございます」

「いや、なんで敬語? 俺への溢れる敬愛が形になった?」

「いや今のは俺にだろ。確かに俺を敬いたい気持ちは解るよ」

「そこのツインバカ、うるさい。ねえ、詩乃…わっ」

 詩乃は、言い合う三人に抱き着いた。正確にはぶつかっていった。思い切り腕を伸ばして、全身を預けた。四人で後ろに倒れ込んだが、男子二人が先にしりもちをついたので詩乃はどこも痛くなかった。ぎゅううと力を込めて、三人にしがみつく。

「え…。何これ。どうしたの、この人」

 左側から詩乃と麻里を支える浩章がまず言う。答えたのは、反対側を支えている浩倫だ。

「友情を確かめたくなった? 心配しなくても、俺らは逢坂を愛してるよ。相思相愛だよ」

 詩乃は顔を上げた。

「別に愛してはいないけど」

「いないのかよ」

「傷つくわ」

「でもぶつかっていこうと思って」

「だからさぁ、詩乃…」

 そこで、麻里が口を開いた。

「誰が物理的にぶつかって来いって言ったのよ!?」

「あたし、麻里が大好き!!」

「はぁ!?」

「考えたの、言いたいことを! あたし色々あって、色々大変な感じなんだけど、麻里に言いたいことはこれだけなの!」

 叫ぶように言って、詩乃はもう一度麻里に抱き着いた。

「麻里が大好き! ごめんなさい!」

 抱き合う二人に、浩章もかぶさってきた。

「なんで謝るのか分からんが俺も斎川が大好きだ!」

 間を置かずに浩倫も来た。

「勝ったな、俺は逢坂も大好きだ!」

「お前それただのチャラ男だろうが」

「違う、俺は実はふみくんも大好きだ!」

「気持ち悪いわ!」

「爆愛主義者なんだよ!」

「爆愛ってなんだよ、博愛だろ!」

「爆発的な愛って意味だよ、お前これ今年の流行語とるぞ?」

「とらねぇわ!」

「二人ともやかましい!」

 麻里が叫んで、首にしがみつく詩乃の両腕を持って引きはがした。

「そんなことで誤魔化されると思ってるの?」

「誤魔化すつもりなんて無い。本当のことを言っただけ」

「何それ、開き直る気?」

「そう思われても仕方ない」

 きっぱりと言う詩乃に、麻里はぐっと言葉に詰まった。一瞬だけうつむいて、睨み付けるようにきっと詩乃を見る。

「あっそう。そういう風に言うんだ…」

「麻里…あたっ!!」

 麻里は、詩乃の腕を持ったまま思い切り頭突きをしてきた。ごいんと音がして、お互いに文字通り頭を抱える。

「…何してんの、この人たち」

「おーい、大丈夫かー?」

「平気…。ちょっと拳で語り合っただけだから」

「拳使ってないよ、頭だよ」

「放っといて」

 涙目になりながら、麻里は額をさする。詩乃も涙目で麻里を見た。

「言っておくけど、あたしだって詩乃が大好きなんだからね! でも! だからこそ!」

 麻里は詩乃の襟首をつかんだ。

「昨日は傷ついた!!」

「ごめんなさい!!」

「おかげで眠れなかった!」

「ごめん、あたしは朝までぐっすり寝てた!」

「なんだとー!? そこは自分も眠れなかったとか言ってよ!」

「途中までは眠れなかった!」

「そんなのずるい!」

「いや…。うん。とりあえず、落ち着こうか、君ら」

 浩章と浩倫が、それぞれ詩乃と麻里を引き離す。肩で息をするほど勢い込んでいた麻里だが、それで少しトーンを落とした。

「あたし…。あたし、どうやったら詩乃に頼ってもらえるの?」

 すがるような目で見つめられて、詩乃は心臓が痛くなった。

 

――ああ。なんだ、一緒だ。

 

「麻里…。ごめんね」

 そうして詩乃は、やっと麻里に打ち明けた。

 母親の再婚話に始まり、間違った正しさに縛られていたことも、誰のことも信用していなかったことも。崇のことだけは、男子二人がいたので言わなかったが。

 麻里も、浩章も浩倫も黙って聞いていてくれた。

「誰のことも信用出来ていなかったのは、麻里のせいじゃない。あたしの弱さだと思う。自分の言葉には意味が無いって勝手に思い込んで、勝手に諦めてた。あたし、麻里が優しいから甘えてたの。……ごめんなさい」

 しばらくの間、誰も何も言わなかった。

「お母さんの再婚かぁ…。そりゃ、確かに軽々しく言える話題じゃないな」

 やがてぽつりと言葉を発したのは浩倫で、隣で浩章もうなずく。

「西園寺の言う通り、何もこの時期じゃなくてもいいよな。もちろん、お母さんも考えがあるのかもしれないけど」

「どんな考え?」

「そりゃやっぱり、経済的な話だろ」

 思いもよらない返事に、詩乃は浩章を見た。

「どういう意味?」

「いや、だからさ。逢坂は公立大学一本で絞ってるけど、やっぱり努力と結果がいつでも結びつくわけじゃないだろ。万が一公立に落ちて私立に行くようなことがあったらさ、ほら、言いにくいんだけど、奨学金もらえたとしてもお母さん一人の給料じゃ…」

「なるほど。他人じゃなくて、「父親」としてなら資金援助が堂々と出来るってことか」

「俺たちまだ十七歳だから、親が再婚して養子縁組するって言えば、断る権利が無いんだよな。で、親には子どもの養育義務があるから」

 なるほど、ともう一度浩倫がうなずく。しかし詩乃は納得がいかなかった。

「でもあたし、公立に落ちたら進学せずに働くってお母さんと話して決めたのに…」

「出版社志望だろ? なら、大学は出ておいたほうがいいって思ってるんじゃないのかな。日本の学歴社会には俺も呆れてるけど、呆れたからって今すぐ現状は変わるわけじゃない」

「じゃあお母さんは、どうしてそれをあたしに言わないの?」

「言わないだろ。娘を大学に行かせたいから再婚するなんて。借金のかたに売られる町娘じゃあるまいし」

「………―――」

 お母さん。

 詩乃は、口の中でつぶやいた。

「いや、もちろんこれは俺の推測だよ? もうほんとその医者のことがすごく好きだから早くに結婚したいだけかもしれないし」

 浩章はとりなすように言ったが、詩乃はほとんど聞いていなかった。母親なら、そんな選択をしそうな気がした。詩乃の為に。それが、詩乃の知る母親だ。

「それはそれとして」

 浩倫が、ぱんと手を叩く。

「斎川は言うことないの?」

 ずっと黙っている麻里を、三人で覗き込んだ。麻里は、唇を噛んでいた。

「麻里?」

「詩乃…」

 麻里は、両手を伸ばして詩乃に抱き着いてきた。先ほど詩乃がそうしたように。

「詩乃」

 そうつぶやいたきり、麻里は何も言わなかった。それだけで、十分だった。

「あー。ところで」

 少々気まずそうに、浩章が口を開く。

「朝礼のチャイム鳴ったんだけど」

 抱き合ったままだった詩乃と麻里は、はっとして時計を見た。

「嘘、なんで!?」

「なんでってそりゃ、時間は流れるもんだから」

「聞こえなかった…」

 呆然とつぶやく。朝礼が始まってからもう十分近くが経過している。そろそろ終了のチャイムが鳴って、そこからまた十分もすれば一時間目の授業が始まるのだ。

「ご、ごめん! あたしのせいでみんなまで遅刻扱いに…」

「いいよ、別に。たまにはありだろ、こういうのも」

 鷹揚に浩倫が言って、浩章もうんうんとうなずいている。

「つまらない朝礼の内容よりも、逢坂の告白のほうが大事に決まっているじゃないか」

「うわ、全然カッコよくないんだけどむしろ鳥肌立つんだけどこれ本人に言っていいかな」

「斎川さん、聞こえてる。本人にめちゃくちゃ聞こえてるから。傷つくからやめて。せめてオブラートに包んであげて」

「了解、任せろ。気持ち悪い」

「漏れてる! オブラートから漏れてるそれ! っていうか包む気ないよね!?」

 すっかり調子を取り戻した麻里に、詩乃は笑う。

「教室に行こう。先生に謝らなくちゃ。浩章と浩倫の先生にも、あたしが謝るよ」

「いや、いいよ。女だけに謝らせるなんて男が廃る」

「廃るほど男前だっけ」

「生徒会長ったら絶好調だな!」

「でもまあ、確かに廃るほど男前じゃないよな」

「お前も同じ顔だろうが!」

「その辺にしとけ」

 突然ドアの方から声がして、四人は一斉に振り向いた。

「先生…」

 西園寺が、ドアにもたれかかるようにして立っていた。

「生徒会役員が…それも三年生が四人そろって朝礼ボイコットとはな。しかも四人で廊下を駆け抜けたって?」

「すみません! あたしのせいなんです!」

 慌てて立ち上がって頭を下げる詩乃に、西園寺はふうと息をついた。

「連帯責任だ。止めなかった方も悪い。それと、三年生がボイコットしたのにペナルティ無しには出来ない。後輩たちに示しがつかないだろう」

 厳しい言葉に、詩乃は肩を竦ませた。

「先生…」

「ペナルティの内容は…。そうだな、昼食を残さず食べること」

「は?」

「全員の担任には、俺が生徒会の仕事を押し付けたと説明した。遅刻扱いにはならないよ」

 座り込んでいた麻里たちも立ち上がった。

「一時間目には間に合うように教室に行けよ。特に浩倫、君は体育だろう。急ぎなさい」

「あ、はい」

 放り投げていた鞄を、それぞれが持つ。

「ペナルティ、忘れるなよ」

 そう言いおいて、西園寺はさっさと歩いて行った。その姿を見送ってから、麻里がほええと間の抜けた声を出した。

「カッコ良い…。今の西園寺、本当ものすごくカッコ良かった! さっきの浩章とは比べるのがもったいないくらいカッコ良かった! ね、詩乃もそう思うでしょ?」

「うん…。比べるのがもったいないっていうか、申し訳ないレベルっていうか…」

「え、なんで俺こんなに傷つけられてんの? 俺、なんかした?」

「いやいやふみくん。これは相手が悪いわ。どう考えても西園寺がカッコ良い。お前のカッコ悪さが際立ってもう光り輝いてるよ」

「カッコ悪く輝くって何それ! 言っとくけどな、俺だってあと数年すればかなり粋な大人の男になるよ!?」

「無理だね」

「無理だろ」

「無理だよ」

 ぎゃーぎゃーと言い合いながら、四人は生徒会室を出る。

 詩乃も笑っていた。気がかりは、これで一つ消えた。学校にいる間に、もう一つ消さなくては。

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