昼休み。言いつけ通りに昼食をすべて平らげてから、詩乃は図書室へ向かった。甲斐田が、いつも昼食後にはそこで読書をしていることを麻里から聞いたからだ。
窓際の隅の席に、後輩はいた。
「甲斐田さん」
呼び掛けるまで詩乃には気がついていなかったらしく、彼女は目を丸くした。
「読書中にごめんね。少し話せる?」
「…ここ、図書室ですよ」
「うん。だから、一緒に来てくれないかな」
甲斐田は逡巡したが、やがてうなずいた。呼んでいた本に栞を挟んで立ちあがる。
「どこへ?」
「生徒会室。今なら誰もいないから」
鍵を見せて、詩乃は笑いかけた。
「それで、お話というのは?」
甲斐田の表情は硬い。詩乃は、少し笑った。ぎこちない笑みではあるが。
「うん。ちゃんと謝って、話そうと思って」
「謝るってことは、認めるんですか。二年生を試そうとしたこと」
「そうじゃないよ。試す意思なんてなかった。これは本当。でも、あなたたちを信用もしてなかった」
「信用…?」
「甲斐田さん、荒木さんのお友だちなんだってね」
「…斎川先輩から聞きましたか。まあ、別に口止めもしてませんでしたけど」
「うん。お友だちが大変な時なんだから、甲斐田さんだって必死だったよね。あの提案、早く出さなくてごめんなさい」
詩乃が言うと、甲斐田は少しうつむいた。
「一つ年下ですけど、家が近くて親も仲が良いんです。それで、加奈ちゃんに目安箱のことを教えたのも私です」
「うん。……荒木さん、体調は?」
「入院は来週です。先天性の血管の病気で、小さい時から、もう四度目の入院になります」
「そっか。良くなるといいって、すごく思うよ」
「はい」
「その為にも、早くXさんを探さないとね」
「はい。あの子が入院する前に見つけてあげたいです」
投書に書かれていたように、荒木加奈子には時間が無い。それは、入院が迫っているからだ。入院期間は二週間から一か月。それだけ経ってしまったら、Xにとっては完全に過去の出来事になってしまうだろう。下手したらそのまま夏休みに入ってしまう。だから、甲斐田は焦っていたのだ。
「だけど、甲斐田さんもちゃんと事情を話すべきだったよね」
静かにそう言うと、甲斐田は不服そうに顔を上げた。
「だって、あんまり入院のことは知られたくないって本人が…」
「そっちじゃなくて、友だちだってことは黙っていなくても良かったんじゃない?」
「生徒会役員の友だちだから気合い入れて探してるなんて、言われたくないじゃないですか」
「そんなこと誰が言うの?」
「誰って…」
「言いたい人には言わせておけばいいよ。荒木さんは正規の手続きを踏んで生徒会に依頼してきたの。誰にも文句を言う権利なんて無いでしょう?」
甲斐田は唇を尖らせた。不器用な後輩だ。きっと誰かとぶつかったこともあるのだろう。
「あなたが友だちとして出来ることは、あたしに文句を言うことでも効率性だけを重視してデータベースの存在を漏らすことでもなかった。ただ、必死になって彼女には時間がないから急いでほしいって訴えることだったんだよ」
どの口で、と詩乃も思う。昨日まで誰も信じていなかった詩乃に、言えた義理ではない。けれども一方で、そんな詩乃だからこそ言えるのかもしれない。
「あたしもまだまだこれからなんだけどね。伝えたいことは、伝えたい人にちゃんと伝えよう? 叫んで喚いて、声が枯れたら何十枚でも手紙にして。それでも駄目なら――」
西園寺の言葉は、こんなにも心強い。この後輩にも、その強さが伝わるといい。
「あたしも一緒に、言ってあげるから」
甲斐田は立ち上がった。背の高い彼女が、詩乃を見下ろしてくる。その眼は険しかった。
「そんなの、きれいごとです」
吐き捨てるように言って、彼女は生徒会室から出ていった。
詩乃は息をついた。我知らず、多少は緊張していたらしい。
「きれいごと、か…」
言葉を尽くしたところで、伝わらないこともある。甲斐田には、まだ伝わらない。けれど、まだ一回目。詩乃はまだ叫んでいないし喚いてもいない。
――負けるものか。
*
水のように
手から零れる。
乾けば消える。
掴めない。
保てない。
触れられない。
「あ、凍らせればいい」
思いついた自分を、たまには少し褒めてみようか。
*