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錯覚する。

今でもあなたが傍にいる。

今でもあなたが隣で笑う。

錯覚する。

それは、何より幸せな夢。

錯覚だと、気付きさえしなければ。

焼き増しできればよかった。

アナタを。

写真みたいに。

だけど焼き増し出来たところで、それがアナタならあたしを選ぶことはないのだろう。

本当は。

本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は本当は―――。

“本当”は。

どこ?

 日記に殴り書きした詞を読み返して、詩乃は少しだけ笑った。誰を想って書いたものなのか、昨日のことのように思い出せる。崇のことを、こんなに穏やかに想える日が来るとは思わなかった。

 当時の、誰にも何も言えなくて、ネットに逃げた自分に伝えてやりたい。

―――大丈夫。がんばれ。

祈るように

願うように

抗うように

挑むように

縋るように

囁くように

求めるように

 

“ソバニイテ”

口に、出していれば。

 そうだね。口に出していれば、もっと早く気付けたかもね。

今日もまた、探している。

比較する。

相違を見つけて、安堵する。

……アア、ヨカッタ。

好きにならなくて済む。

 狭い世界にいたと、そう思う。詩乃が一歩踏み出せば、周囲はみんな助けてくれたのに。いや、ネットの中でも助けてくれる人はいた。主にたけうまが。そういえば、いつの間にかたけうまの正体はどうでもよくなっている。心に余裕が出来たのかもしれない。

 詩乃は、新しいページを呼び出した。

知っているのに、知らないふりをした。

解っているのに、解らないまねをした。

嬉しかったのに、嬉しくないと嘯(うそぶ)いた。

哀しかったのに、哀しくないと微笑んだ。

 

哀しい、ヒト。

哀しかった、ヒト。

 まだ暗いとは思う。けれど、哀しいということに気が付くことは出来た。

 詩乃は明日、高校を卒業する。送辞は甲斐田が、答辞は麻里が担当する。詩乃やほかの生徒会役員の面々は、諸々の雑用係だ。最後の雑用が出来ることを、嬉しく思っている。

 そういえばと、昨日の帰り際の西園寺との会話を思い出す。彼は、突然聞いてきたのだ。

「お前、誕生日はいつだ?」

 あの騒動の後、西園寺は詩乃のことを「お前」と呼ぶことが多くなっていた。教室で会うと「君」と言うのに、ほかの教師や生徒の目のないところでは「お前」と呼ばれる。そのことを、少し特別に感じている。

「誕生日? あたし早生まれで、三月二十二日ですけど…」

「…ってことは、卒業してもしばらく十七歳か」

「はい。それがどうかしましたか」

「………」

「先生?」

「なんでもねぇよ」

 素の口調で思い切り目を逸らされたので、なんでもないことはないと思う。あれはどういう意味だったのだろう。不思議に思って高砂に聞いてみたら、何故か大笑いされた。机をばんばん叩いて笑って、ほかの先生に睨まれていた。あれも意味が分からない。

 そのうちね、と言われたからにはそのうち分かるのだろうが。

 あの騒動の後も、西園寺や高砂にはずいぶんと助けられた。甘やかすだけではなく、詩乃がまた間違えそうなときには叱ってくれた。父親がいない分、大人の男に叱られることには慣れていない詩乃だったが、西園寺の言葉は素直に聞けた。

 父親がいたらこんな感じだったのだろうかと、こっそり思っている。父親というには年が若いので、本人に言ったら失礼かと思って言わないが。麻里にだけはその気持ちを伝えたら、とても優しい顔で微笑まれた。あれも意味が分からない。そういえば麻里も、そのうち分かるよと言っていた。

 そのうち分かるならまあいいかと、詩乃は考えるのを止めてキーボードを叩いた。

たけうまさんへ

おかげさまで、明日高校を卒業します。無事に卒業できるのは、周りのみんなのおかげです。みんなが応援してくれて、第一志望にも合格できました。

これからは、日記の速度が遅くなると思います。たまに近況報告はしますので、その時は話し相手をしてやってください。

では、おやすみなさい。

マリさんへ

ご卒業おめでとうございます。

あなたを応援したという皆さんも、無事に卒業できることを喜んでいると思います。私もその一人です。

大学で思う存分学んで、将来に活かしてください。ずっと、応援しています。

また会える日を、楽しみにしています。

おやすみなさい。

 

インターネット上の日記で、気になる子がいる。

 最初にそう言ったのは高砂篤子だった。言われるままに日記を覗いてみると、確かに重く苦しい思いを吐き出してあった。日記の情報から、管理人が女子高生であることと片親であることは判った。

 しかしその高校生を気にかけるようになったのは、その内容よりも彼女の言葉選びに気になるものがあったからだ。魅(ひ)かれた、と言ってもいい。

 内容は確かに重くて苦しいものが多く、思春期独特の青臭さと遣りようのない不安定さが滲み出ていた。狭い世界でもがいているようだと感じた。それでもその詞自体には切なさを孕んだ美しさがあった。その、歌うような言葉選びに魅かれたのだ。

 助けて欲しいと、そう叫んでいるように見えた。

 どんな子が書いているのか、本格的に興味を持つようになるまで時間はかからなかった。そのうち、高砂がいなくても日記を確認するようになり、音の無い詞で助けを求めている子の助けになりたい、そう強く思うようになっていた。

 ハンドルネーム「マリ」が逢坂詩乃であることに気が付いたのは、彼女が二年生の時。西園寺が現国を受け持つようになって少し経った頃だ。日記で見かけたことのある詞が、ノートに走り書きしてあった。正確には、走り書きを消した跡があった。高砂からの情報もあった。英語で詩を書く宿題を出した際、日記上にあった詞を英訳して提出したらしい。マリがあまりにも近くにいたことに高砂と二人で驚いたが、それよりも逢坂詩乃が泣き叫ぶように詞を書いていることが心配で仕方なくなっていた。

 高砂は、彼女のハンドルネームはきっと親友から借りたのだろうと言った。西園寺も一度は同意した。しかし。

「…いや、違う」

 考え直したのは、彼女が三年生に上がってすぐ。西園寺の家で彼女を保護していた時だ。

「違うって?」

 高砂がそう聞いてくる。その頃、詩乃が寝ると高砂はベッドから降りて、西園寺とビールを飲んでいた。

「日記を最初から見直してみたら、斎川と知り合う前にはもう「マリ」と名乗ってた」

「じゃあ…。なんなのかしら」

「たぶん、人形だろう」

 英語教師である高砂は、すぐに思い当たったようだった。

「……マリオネットの、マリ?」

「ああ」

 答えて、西園寺はぐいっとビールを流し込んだ。

 詩乃にとっては母親がすべてだ。嫌われたくない。捨てられるのが怖い。だから母親の言う正しい方を選ぶ。それが一番うまくいく。けれど、どこかに遣る瀬無さがあったのだろう。違和感を覚えながら、それでもうまく言葉に出来ずに、誰にも言えずにたどり着いた本音を言える場所がインターネットで、あのハンドルネームなのだろう。

 その晩、ベッドに戻った高砂は、そっと詩乃の頭を撫でていた。

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