翌日。昼休みに、荒木加奈子を生徒会室に呼び出した。もちろん詩乃も参加するはずだったのだが、病欠したクラス委員の代わりに五時間目の授業の準備をしなければならなくなったため、やむなく欠席となった。したがって、荒木加奈子から聞き取りした内容を麻里から聞けたのは、放課後になってからだった。今日は浩章と浩倫はそれぞれ塾があり、生徒会室にいるのは女子二人だ。
呼び出された荒木加奈子は、非常に緊張していたという。それはもう、気の毒なほど。
「誰も取って食ったりしないのにね」
そう言う麻里は苦笑していた。よほどの緊張だったのだろう。
「それで、顔とか特徴とか聞き出せたの?」
「それがねぇ…」
麻里が語ったところによると、彼女の供述内容はあまり頼りにはならなかったらしい。
「とりあえずヒーローのことを、便宜上Xさんとして」
麻里は、小さなメモ帳に書きつけていた内容を読み上げた。ちなみにメモ帳は荒木加奈子が使っていたようなかわいらしいものではなく、表紙の黒いシックなものである。
「まず、背格好。荒木さんより高い」
「荒木さんの身長は?」
「百四十五センチ。教室の並び順では前から三番目だって。つまり、教室内に限定しても、荒木さんより小さい人は二人しかいないということね。ちなみに、一クラスに大体三十人くらいで全五クラス。二年生と三年生合わせると十クラス」
この時点で、詩乃はこの案件の厄介さを甘く見ていたと悟った。
「で、顔とかの特徴なんだけど」
麻里が続ける。
「Xは帽子をかぶっていて、しかも逆光で、よく覚えていないって。でもたぶん、もう一度会えれば判ると思うって」
「帽子ということは、髪型も…」
「長くはなかったということくらいしか。色は黒かったと思う…って言ってもうちの学校は髪染めたら違反だからねぇ」
まったく頼りにならない証言だ。
「それで、この一週間は二年一組から順番に見に行ってみたって。でも生徒が堂々と出歩けるのって昼休み中くらいでしょ。食堂にいたり運動場にいたりしてその時間は教室にいない人もいるからね。一応校舎内をうろついてもみたけど、結局迷子だってさ」
「まあ、迷子になるのはまだ仕方がないけど…」
「放課後に探そうともしたらしいけど、塾があるから早く帰らなきゃいけないんだって。遅刻したらすごく怒られるみたい。ご両親は厳しいみたいね」
話す麻里につられてというわけでもないが、詩乃も渋面になっていく。麻里の話は続く。
「でも入学式の二日前ってことは、一年生はまだ春休み中でも、二年生と三年生は授業が始まっていたのよね。せめてその日に欠席した人が判ればと思ったんだけど」
「…土曜日よね、二日前って言ったら」
「その通り。つまり部活してた人を除けば全員休み」
ううん、と思わず声が漏れた。
「体格は細かったって。すらりとした感じで。服装はパーカーを着てたってことだけ」
「うちの学生かって言ったのよね? 他には何も話さなかったの?」
「お礼くらいは言ったと思うって。あとこれも曖昧な話なんだけど、商店街にいたってことは、Xも買い物をしていたかもしれないよね。何か荷物は持ってなかったかって聞いたら、ビニール袋を持ってたって。自転車を起こす時に手にかけ直すのを覚えてる。ただし」
「…美鷹商店街は、街をあげて同じマークの袋…」
「そうなのよねー。もうどうしようかと思ったよ」
詩乃も同じ気持ちだ。手がかりが少なすぎる。
「確実に言えるのは、Xは商店街から山側に帰って行ったって。荒木さんは学校側に抜ける道から帰るから、それだけは間違いない。自転車でもなく歩いて帰って行ったって」
「でも本当に帰って行ったのかは分からないよね。そこから別の目的地に向かっただけかもしれないし」
「確かにね。でも」
麻里はメモ帳を閉じた。もう必要ないということだろう。
「これは浩章が言ってたんだけどね。少なくともXの住まいは、美鷹商店街から山側の徒歩圏内にあるんじゃないかって」
「なんで? 商店街の外に車を待たせていたかも」
「あたしもそう言った。けど商店街には駐車場が無い上に、周りは駐停車禁止でしょ。車でしか運べないような物を買うなら商店街を通り越してモールに行くはず。あそこなら駐車場もたくさんあるし、商店街にあってモールにはないようなものは無いし。でもXはビニール袋を手にかけていただけ。なら、商店街に歩いてきていたと考える方が自然でしょ」
「そっか…」
麻里が、正確には浩章が何を思って発言したのか、詩乃にも解った。
「Xは、倒れた自転車を起こすのを手伝って、その後「歩いて」立ち去ってる。ってことはつまり、誰かを待たせていた可能性は低いってことね。待たせているなら中学生かなんてのんきに聞かずに、急いでいるからこれでって言ってさっさと走って去っていくはず」
「さすが詩乃。理解が早い。…浩章にしては冴えてるよね」
「うん、浩章にしてはね」
二人して失礼なことを言い、うなずきあった。
「さて、問題はどうやって探すか、だよね」
麻里が言って、詩乃がうんと答える。
「一番地道だけど確実なのは、これから毎日商店街で見張ることだよね。荒木さんと」
「でもその子は塾があるって…」
「そうなんだよね。学校で会えれば一番いいよね。昼休みにゆっくりお礼が言えるし」
「けど二年と三年全員に首実検してたらいつまでかかるか…」
「双子は校内放送かけてみるかって言ってたけど…ねぇ」
「十日前に美鷹商店街で新一年生を助けた心当たりのある人って? 名乗り出るかな」
「微妙なとこだよね。自分なら恥ずかしくて名乗り出ないって奴らも言ってたし」
「…自分で言い始めたくせに…」
「大丈夫。あたしが突っ込んでおいたから。というか、あいつらに恥ずかしいとかいう高尚な感情があるとかちゃんちゃらおかしいし。へそが茶を沸かしまくるし笑止千万だし片腹痛いしね」
「いや、あたしはそこまで言わないけども」
「まあともかく、自転車起こすの手伝ったくらいでおおごとにされたくないかもしれないという気持ちは解るよね」
「そうだね。あたしもそう思う。放送は、最後の手段にしておくべきかな」
意見を口にすると、麻里にじっと見つめられていることに気が付いた。
「何?」
「詩乃、やっぱりなんかあったんじゃないの?」
「…なんで?」
「いつも以上にテンションが低い。この案件、気乗りしないの?」
「そんなことないよ。見つかると良いって、思ってる」
「じゃあなんでそんな浮かない顔してるの? やっぱり何か…」
詩乃の顔を覗き込むように、麻里が言う。心配させている。
けれど、詩乃は首を振った。
「ないよ。何も」
嘘は好きじゃない。けれど、これは嘘にはならないと詩乃は思う。
どうせ、何事もなかったかのように世界は廻るのだ。そういう風に出来ているのだから。
そうこうしている間に、学校の閉門時間が迫ってきている。麻里は一瞬だけうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「とりあえず、宿題として各々作戦を考えることにしたから。今日金曜日だから、月曜日にもう一度作戦会議。上岡に対する文書は、これから西園寺に提出ね」
「うん」
詩乃がうなずくのを合図にするように、二人は立ち上がった。