次の村には、山を下るとすぐに着いた。
「先ほどの村より規模が大きいようだな」
「まあな。ここで見つからなかったら、今日は帰る」
二人は、山の麓から村の様子を窺っている。ミーコの言うとおり、前の村よりはヒトも多く賑やかだし、土地自体も大きい。
「ここにも、先ほどのような長老がいるのか?」
「いや、ここには関所がある」
目に見えて固まったミーコに、シロは続ける。
「心配しなくても、関所には行かねぇよ。関所の情報に通じている知り合いがいるから、そっちに当たる」
「そうか、それなら」
「ただし、お前はここにいろ」
「む、何故じゃ」
「情報屋は面倒だ。面倒な奴に面倒な奴を会わせたら面倒と面倒が手と手をつないで面倒を抱えてやってきてそれはもう面倒なことになるだろうが」
「なにを言っておるのじゃ」
「とにかく、お前が来ない方が早いってことだ。ここにいて、村人の観察でもしてろ。ただし、万が一父親を見つけても動くなよ。お前は俺の親戚ってこと押し通すんだからな」
「むぅ…。シロがそう言うならば仕方あるまい。待っているとしよう」
おとなしくなったミーコを木の陰に隠して、シロは村へと歩いていく。途中でちらりと降り返ったら、言われた通り微動だにせずそこにいた。本当に、ヒトに言われたことは素直に聞くらしい。
息をついて、シロは村へと入った。正直関わりたくない相手だが、そうも言っていられない。一刻も早く片付けたいのだ。
「…変わらねぇな、ここは」
つぶやいて、村の中央の道を堂々と歩いていく。見慣れないシロに視線をよこす村人もいたが、気にはしない。こそこそしていたらそれこそ情報屋の思うつぼだからだ。幸い、目当ての建物はそう遠くない。
と、視線を感じた。ミーコではない。
歩みを止めたのは本当に一瞬で、シロはすぐにまた歩き始めた。ただ、目当ての建物には入らずに通り過ぎた。方向を変えて関所に向かってずんずんと歩いていく。関所が見えるか見えないかという位置で走り出し、手近な家の陰に隠れた。
シロの後を追うように走ってくる音が聞こえてくる。シロを探しているのだと気配でわかった。気配は、辺りを探りながらゆっくりとシロが身をひそめる陰へと近づいてくる。じゃり、と大地を踏みしめる音が聞こえた。
シロのところまであと二歩という瞬間を見計らって、シロは手を伸ばした。
「っ!」
相手が息を飲む。
構わず、相手の腕を取ったまま背後に回り込んでねじりあげた。
「いたっ! ちょっと待った、ごめんなさい!」
「なんのつもりか、簡潔に説明しろ」
「痛い痛い! わかった、話しますって! ちょ、本当にごめんなさい!」
「声がでかい。黙れ」
「黙ったら説明も出来な…いや、なんでもありません、ごめんなさい!」
やっと声を潜めた相手に、シロは少しだけ力を緩めた。後ろに廻させた腕は掴んだまま、自身も声を落として尋ねる。
「で、なんのつもりだ」
「いや、なんだか久しぶりに顔を見たなぁって。うれしいなぁって」
「うれしかったら気配を殺して後をつけるのか、お前は」
「でも結果的に気配を殺した意味は無かったから、これで問題も無いってことに…」
「なるか」
シロの声は冷たい。この相手には、甘いところは一切見せられないのだ。何故ならとても面倒だから。
「シロさんこそ、どうしてここに?」
「質問してんのは俺だ。―――腕、折られたいのか」
「いやいやいや、勘弁してくださいよ、ちゃんと答えますって!」
「さっさと言え」
「いやね、今、行方不明の巫女がいるじゃないですか」
ぴくりと、シロの眉が上がる。
「……それで」
「どうやらこの辺で目撃情報があったらしいんですよ。それで、わざわざ神関からお偉いさんが来てるんです。せっかくだから見物しようと思っていたらシロさんが現れたんで、つい。ちゃんと声をかけるつもりだったんですよ? ただまぁ、その前に気付かれちゃったから」
「ちっ」
聞こえるように舌打ちして、シロは相手を解放した。
「相変わらず乱暴なんだからぁ」
解放された腕をさすりながら、相手はわざとらし上目づかいでシロを見る。長い髪を耳の後ろで束ね、品の好い桜色の着物に身を包んでいた。
「気持ちの悪いしゃべり方をするな。いつでもその口塞いでやるぞ」
「うーん、どうせ塞がれるならシロさんの唇で…って冗談ですよ」
シロが本気で睨みつけると、腕をさすっていた相手は、両手で降参を表現してみせた。ただし、表情はまったく懲りていない。
「で、シロさんはどうしてここに?」
「男を一人、探している」
「やだ、浮気? あたしというものがありながら」
「少なくとも八年前にはこの辺に住んでいた男だ。その頃、女と暮らしていた可能性もある。優しくて強くて手先が器用らしい。自分の家も手作りしたとか。歳はおそらく四十代半ば」
「え、まるっと無視? っていうかなにその男、シロさんに探してもらえるなんて。あたしも探されたい!」
「一時間以内に関所の住民情報を洗って来い。―――次に軽口叩いたら頭から逆さにして埋める」
「そういう怖いところも素敵。でも殺されたくはないから、調べてきますよ」
うふふと笑った相手に、シロはさっさと行けと手を振った。
相変わらず面倒くさい相手だ。何年も前、気まぐれで命を助けてから、妙に懐かれてしまった。うるさいので関わりたくはないのだが、奴の情報屋としての腕は確かだ。
対峙する相手に合わせて姿かたちや性格を変え、欲しい情報を意のままに手にする。現に今も、女にしか見えなかった。喋り方も造作も、何も知らない人間が見れば妖艶な美女に見えただろう。
奴の名前は源左衛門。苗字は忘れたが、れっきとした男だ。元の容姿を活かし、美女にも美男にも時には老婆にさえも変装する。シロが見かけに騙されないのは、気配までは変えられないからだ。見かけだけで判断するとなったら、シロも困るだろう。
シロは元来た道を戻り始めた。動くなと言ってあるとはいえ、長い時間ミーコを一人にはさせられない。目撃情報がどこから上がってきたのかは知らないが、情報が上がるというのはそれだけで人々の関心の高さを指している。
源左衛門に与えた猶予は一時間。その間、山に身を潜めていた方がいいだろう。
「シロ!」
戻ってきたシロに、ミーコはうれしそうに手を振ってきた。本当に、別れた場所から一歩も動いていない。安堵しつつ、シロは言った。
「待たせたな。なんか見えたか?」
「ここからではあまりヒトの姿は見えないのだ。木に登って上から眺めようかとも思ったのだが、動くなと言われたので動かず待っていた。そもそも木に登ったこともないしな」
「そうか」
ミーコが素直で助かった。神官がうろついている今、一人で歩いていたら見つかっていたに違いない。
「シロの方はどうであった? 情報屋とやらには会えたか?」
「ああ。一時間したら情報を持ってくる予定だ。それまでは、お前は村人を見てろ」
「しかし、ここからでは」
「木に登ればいいんだろ」
言って、シロはミーコに背を向けてしゃがんだ。
「乗れ」
「………。乗る、というと、どうやって」
「お前、おんぶ知らないのか」
「おお、そうか、おんぶか! 知っておる。えーと、こうか?」
恐る恐る、といった体でミーコはシロにおぶさってきた。
「しっかり掴まってろ」
小さな両手を自分の首にまわらせて、シロは立ち上がる。
「おお! 浮いたようじゃ!」
「耳元ででかい声出すな、うるさい」
「あ、すまぬ」
声を潜めたミーコに、シロはふと笑った。どこまでも、素直な少女だ。
「シロ?」
「なんでもない」
答えて、シロは大きな木の手近な枝に手をかけた。腕の力だけでひょいひょいと登っていく。やがて、村側に大きくせり出した太い枝の上で止まった。
「ここからなら見えるか?」
「うむ、よく見えるぞ。シロはすごいな。木登りまで出来るとは」
「それなりに野生児だったんでな」
木の葉に隠れるようにして、二人は村の方へと視線を集中する。シロにはヒトがいるという程度の見え方だが、ミーコにはそれが男か女か、若いか年寄りかまで見えるらしい。
「うーむ。やはり先ほどの村よりヒトが多いな。お、あれが関所か。思っていたより小さな門構えじゃな」
関所の門構えを見て「小さい」などと表現できるのは、各地に点在している関所の総本部である神関を見ていたからに他ならないだろう。指摘して背中で暴れられたら困るので、シロはなにも言わなかった。
「少なくとも、今外におる者の中には父親はおらんようじゃ。……ん?」
「どうした」
「関所から誰か出てきた。あの女人、先ほどシロの後を歩いていた者ではないか?」
「……見えてたのか」
「すぐに見えなくなったが。ヒトが多いからな。別に後ろを歩くくらいはあるものかと。もしかしてあの女人が情報屋か?」
「あれは女じゃねぇよ。一応男だ」
「なに? 女装が趣味なのか?」
「趣味っつーか…。情報屋として便利な格好をしてるんだよ、いつも。だから、会う時によって男の格好だったり女の格好だったりする。まあ、趣味だからってのもあるかもしれないけどな」
「ふぅむ…。下界にはいろんな者がおるのぅ。面白いことじゃ」
「そりゃ良かったな」
しかし、とシロは思う。源左衛門に一時間と指定してから、まだいくらも経っていない。時計などという高級なものは持っていない為正確な時間までは判らないが、多く見積もってもまだ十五分だ。これだけ早いということは、見つかったのだろうか。探し人が。
そうだといい。早くこの面倒事から解放されたい。
「おい、降りるぞ」
「うん?」
「お前の言うとおり、あれは情報屋だ。関所に調べに行かせてた。会って結果を聞いてくる」
「わらわも行っても良いか?」
「駄目だ。お前はここにいろ。あの情報屋にお前のことを勘ぐられたら困る」
「…そうか…」
「すぐ戻るから、ここにいろ」
ミーコは少々不服そうだったが、やがてうなずいた。
「シロさん! 会いたかったぁ!」
甲高い声で呼んでくる源左衛門を、シロは容赦なく殴りつけた。
「いったぁい。なにするんですかぁ」
「目立つ言動をするな。お前はどうでもいいが俺が困る」
「このくらい、いつものことじゃないですか。目立つと困る理由でもあるんですか?」
目を細めて聞いてくる情報屋に冷たい視線を返し、シロは手短に尋ねた。
「それで、結果は」
「判りませんでした」
「なんだと?」
「いえ、判らなかったというか、調べられなかったんですよ」
「どういう意味だ」
「関所の住人管理帳が、燃やされてるんです」
「………なに?」
さすがに反応が遅れたシロに、源左衛門は肩を竦めてみせた。
「鍵のかかった保管庫に、外から火を点けられたみたいですよ。神関のお偉いさんが来てるのは、その件も調査する為でしょうね」
「いつだ」
「三日前です」
「三日…」
というと、ミーコが神関から逃げ出してすぐか。ずいぶんと手回しが早い。それだけ、父親の情報を隠したがっているということか。
しかしそれは言い換えれば、父親がこの辺りにいるということを示している。
「いやぁ、三日も前に起きた事件を知らなかったなんて、情報屋としては忸怩たる思いですよ」
「お前の矜持はどうでもいい」
「まぁひどい」
「すべてが焼失したのか?」
「燃え残りくらいはあるでしょうけどね。保管庫は無残なものでしたよ」
「じゃあ、どの村のどの年代を狙ったのかは…」
「判別はちょっと無理でしょう。八年前どころか、去年のものも百年前のものもないようですよ」
シロは息をついた。
この村の関所には、周辺の五つの村の管理帳があったはずだ。それが燃やされているなら、もうこの村に用はない。
「分かった。ご苦労だったな」
言って源左衛門に背を向けたシロに、声が掛かる。
「次はいつ会えます?」
「出来れば会いたくない」
「あの女とは一緒に住んでいるくせに」
シロの歩みが止まった。肩越しに振り返ると、源左衛門が口元だけで笑っている。
「…ヒトの妹をあの女呼ばわりするな」
「でもシロさんが今ここでこうしているのって、結局は」
「黙れ」
冷たく言い放ってから、今度こそシロは歩き出した。
これだから、源左衛門とはあまり会いたくないのだ。
「シロ! どうであった?」
抑えられなかったのだろう、ミーコは今度は駆け寄ってきた。
「あー…。結果から言うと、残念だった」
ぼそりと告げると、ミーコはなんとも言えない顔をした。落ち込んでいるのに、それを見せまいとして結局は半笑いになってしまったような顔だ。
「そう、か…。いや、しかしまだ一日目だからな。うむ、そんな簡単に見つかるなどとは思っていないぞ」
そうは言っても、住人管理帳があるのとないのとでは手間がまったく変わってくる。前の村にいた長老のような存在は、他の四つの村にはいない。管理帳を見て当たりを付けてから探すつもりだったのに、これでは足がかりになるものがまったくない。
しかも源左衛門の話によれば、ミーコの目撃情報が上がっているらしい。これ以上ミーコを連れて歩くのは危険だ。
「とりあえず、今日は帰るぞ。今からなら日暮れまでには帰りつく」
「そうじゃな。うむ、明日以降に期待しよう」
管理帳が焼失していることは、ミーコには言わないことにした。無駄にがっかりさせることはない。
「父親は、今頃なにをしておるかのぅ」
「…さぁな。この時間だから、畑でも耕してるか、ほかの仕事をしてるか…」
「早く会いたいものじゃ。母親の話をしてみたい」
「そうか」
ざくざく、てくてく二人は歩く。ミーコは一度も道を聞かない。
「お?」
と、急にミーコは道の脇へと駆け寄ってしゃがんだ。
「どうした」
「花じゃ。これは確かニワナズナであったな。本当に生えているのは初めて見たぞ」
うれしそうに、小さくて白い花弁を軽く撫でながら少女は笑う。
「かわいいのぅ。こんな風に咲くのか」
「……少し摘んで帰るか?」
「そうしたいが、手折るのはかわいそうじゃ」
「クロに頼んで押し花にでもしてもらえ。お前、そんだけ知識があるってことはかなり書物を読むんだろ」
シロの提案に、ミーコはぱっと顔を輝かせた。
「なるほど! シロはやはり頭も良いな。そんなことを思いつくとは」
「大げさだ」
「うん、ではそうしよう」
大きくうなずいてから、ミーコはもう一度花弁を撫でる。
「すまぬな、わらわとともに来てくれ」
花に向かってそう言いながら、それは大事そうに花を手折った。
「ふふふ。なにやらうれしいことが多いぞ」
両手で大事に花を包みこんだミーコは、シロをまっすぐに見つめて笑った。
「シロに会えてからじゃな」
シロが罪人だということを、ミーコは知らない。
事実を知っても、少女はまだ笑うだろうか。こんな風に、うれしそうに。
シロは、神と同胞を殺したのだ。