この星の天孫降臨の折、神は一柱ではなかった。五柱の神と六人の守護者がいた。彼らが産まれた星はすでに滅び、彼らは数少ない生き残りだったのだ。彼らが彷徨った末にたどり着いたこの星を開拓し、当時誕生したばかりだった人間たちに住みやすいよう知恵を与え、統治した。争いごとを好まない彼らの考えを人間は引き継ぎ、天孫降臨以来長い間大きな戦は起こったことが無かった。
そんな平和の中、神の一柱が斃れた。人間の十倍もの寿命を持つとはいえ、不老不死ではない。ただ、その時斃れたのは一番小さな姿をした神だった。幼いゆえ、新しい星に身体が慣れなかったらしい。
神も守護者も嘆き悲しんだ。その嘆きは人間にも伝わり、人間も嘆き、やがてその嘆きは星を覆うほどのものになった。
人々の涙は百日間流れ続け、それが今日、神関が浮かんでいる海になったと言われている。
神たちの涙は枯れ果てた。特に長老だった神の落ち込みようはひどく、そのことで彼はひどく臆病になった。
残った神々のすべてを把握しようとしだしたのである。それまでは、神は気まぐれに下界に下りることがあった。人々と会話をし、願いを聞き、交流することで平和を保っていた。特に斃れた幼神は下界が好きで、よく遊びに行っていた。長老は、それを斃れた原因の一つと決めつけた。
長老は神々に下界に下りることを禁じ、その日なにをするか、どこでするか、誰と会うか、なにを口にし、いつ休むか、なにを考えて過ごすかまで管理し始めた。ともに星に来た守護者たちに見張りの真似事までさせた。
これには他の神々も辟易した。突然下界に下りてこなくなった神々を人々は心配し、世界は不満と不安に満ちてきた。しかしそれでも長老は、神々を自分の目が届くところに置きたがった。庭の散歩すらも許可がいるようになり、逆らえば罰を与えるようになり、段々と神関の空気が淀んでいく。引きずられるように、人間界でも小競り合いが多くなっていく。
事件は、そんなときに起こった。
長老が、ある日突然、幼神は神々か守護者の中の誰かに殺されたと言い始めたのだ。完全に乱心していると、誰もが思った。いるはずのない犯人探しが始まり、淀んでいた空気は、もう元の色を忘れてしまっているようだった。
長老は誰の言葉も聞かなかった。犯人などいないと言えば庇いだてする気かと言われ、落ち着けと言えば何故そんなに冷酷なのか、殺したのはお前なのかと罵られた。
六人の守護者たちは頭を抱えていた。前の星にいる時から、ひたすらに神々を護ってきたのは彼ら守護者だ。幼神が斃れた時、自分たちも陰では大声で泣きながら、それでも神々を支えようと献身的に尽くした。そんな彼らを、他の神はもちろん長老も信用してくれていると思っていた。それなのに、幼神を手に掛けた者が仲間内にいると長老は言う。憤りは湧いて来ず、あるのは深い悲しみだった。
そんな中、立ち上がったのは、守護者の中でも一番若い女性だ。彼女は言った。
「わたしが犯人として名乗り出ます」
もちろん、他の守護者は止めた。そんなことをしても一時しのぎにしかならない。命を無駄にする気か。一人が犯人となれば、気付かなかった他の者も咎を負い、下手をすれば共犯となる。考え直せと。
そのすべてに、いいえ、と彼女は答えた。
幼神が斃れた時のことを、長老は悲しみのあまりによく覚えていない。それならば、他の守護者は全員が神と一緒にいたことにし、自分だけに空白の時間があると思わせるのは容易い。ましてや、幼神専任の守護者は自分だった。今の長老が必要としているのは怒りや悲しみをぶつける相手であって、真実ではないのだと。自分は守護者になって一番日が浅い。その事も説得材料の一つになるだろうと、彼女は言った。
そこまで聞いて、それまで沈黙していた神の一柱が立ち上がり、頭を下げた。神が他の者に頭を下げるなど、前代未聞だ。しかし一柱が頭を下げると、他の二柱もそれに倣った。
神々は言った。
―――頼む。
どうか長老を鎮めてくれ。守護者として我々を、ひいてはこの星を護ってくれ。
もう耐えられないのだと泣く神に、どうしてこうなったのかと嘆く神に、申し訳ないと詫びる神に、女性守護者は微笑んでうなずいた。
ここまでの状況になっても、誰一人として長老を弑そうという考えすら出てこなかったのである。それがこの星を開拓した神々の成果でもあったし、異常性でもあった。平等性など、どこにもなかった。
長老に名乗り出る前に、提案があると守護者は言った。
これからもこの星の人間たちを治めていく為に、神とヒトとの橋渡しをする役目を置いたらどうかと。神はもう、長いこと下界に下りていない。人々の中には、神を見たこともない者もいる。もしかしたら存在を信じていない者もいるかもしれない。それでは駄目だ。
同じものを信じ、尊敬することできっと連帯感が生まれ、争いごとの抑止力になる。しかし今更になって急に神が下界に下りたところで、人々は敬意を払わないだろう。今まで何をしていたのかと牙を剥くものもいるかもしれない。ヒトはうつろいやすいものだから。ならば、神は陰から力を行使する立場となり、ヒトの思いを聞く役目はヒトがした方が良い。その為に、まずは五人の守護者のうち一人を人間として人間の村に送り込み、これを最初の橋渡しとする。守護者がヒトから話を聞き、神がさらに守護者から話を聞いて願いを叶えれば、きっと少しずつでも神の尊厳は回復する。
三柱の神々は、この守護者の提案を聞き入れた。提案に感心したというよりは、この守護者の最期の思いになるであろうという思いやりからだ。
これが、今日まで続く巫女制度が誕生した経緯である。
そうしてこののち、この女性守護者は犯人として名乗り出た。そして誰もが予想した通り、処刑された。
この星で唯一の処刑の記録。それが、この女性であり―――シロの婚約者である。
女性を処刑した後、長老はまるで気が済んだと言わんばかりに静かに息を引き取った。女性の遺体は手厚く祀られて、神界では英雄扱いとなっている。
しかしシロは知っている。
あれは、ただの生贄だ。
神々は待っていたのだ。誰かが自ら生贄となると言い出すことを。そして彼らは知っていたのだ。長老の命の期限が迫っていることを。
一時しのぎではなかった。とりあえずここをしのいでしまえば、遅からず長老の寿命が尽きることを神々は分かっていた。
そうしてシロは、復讐鬼となった。
分かりやすいといえばあまりにも分かりやすい動機だった。
神々にも言い分はあった。前の星から脱出する際、長老が先導して助けてくれたこと。その長老の死期が迫り、せめて心穏やかに最期を迎えさせてやりたかったこと。『犯人』が存在することで、幼神は長老が選らんだこの星に殺されたわけではなくなること。あのまま放っておけば、長老は今度は人間たちに矛先を向けたであろうこと。
そのすべてが、シロにとってはどうでもよかった。
ただ、シロは彼女を失った。
だから、見殺しにしたすべての者を手に掛けた。
それだけが現実だった。