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 家に帰りついたのは、日が傾き始めた頃だった。シロが想定していたよりもだいぶ早い。ミーコが疲れたなどと言いださなかったことが大きかった。
「クロは夕飯の支度中であろうか」
「たぶんな」
「わらわも手伝いたいぞ。なに、料理のことなら知っておるから心配するな。さしすせそが基本じゃろう?」
「まあ、そうだな。ちなみにやったことは?」
「ない!」
「…あっそ」
 胸を張って言われて、もうそう答えるしかない。家はもう目の前だ。隣を歩いていたミーコが駆け出していく。
 それにしても、ミーコには躾が行き届いている。駆け出してシロより早く玄関に着いているのに、家主より先に扉を開けてはいけないと思っているのか脇で待っている。その立ち方すら躾けられたものだと判る。
「シロ、早く! わらわはもう草鞋も自分で脱げるぞ!」
「そりゃ大した成長だな」
 言いながら追いついて、引き戸に手をかけ―――ぴたりと、止まった。
「シロ?」
「黙れ」
 短く言って、家の中へと意識を集中する。
 誰かが、いる。
「ミーコ、来い」
 戸惑うミーコの手を引いて、家の裏手に回る。そこには簡易な納屋がある。音を立てないように戸を開いて、ミーコを中に入れた。
「俺が来るまでここにいろ。絶対に出るなよ」
「シロ…」
 不安そうに見上げてくる少女の頭をぽんと叩くと、シロはさっとミーコに背を向けて歩き出した。
 歩きながら、注意深く辺りの気配を探る。見張りはいないようだ。気配があるのは家の中だけ。クロと、あと二人。クロの気配が落ち着いているということは、襲われているわけではなさそうだ。
 ぐるりと家の周りを一周してから玄関に戻り、引き戸を開ける。
「帰ったぞ」
 何食わぬ顔でそう言って三和土を見ると、やはり見慣れない草履が二つあった。
「シロ、お帰り」
 奥の部屋からクロが出てくる。その表情は硬い。
「客か?」
「うん、招かれざる客」
「官吏か」
「神界から。巫女を探してるんだって」
 何故家の中に入れた、とは言わなかった。変に拒めば逆に怪しまれる。
 草履を脱いで客間へ入ると、男が二人座っていた。二人とも座ったまま軽く頭を下げるので、シロも倣った。上座が空いていたのでそこに座る。
 そう大きくもない卓を挟んで向かい合う。卓の上には二人分の湯呑と、少女と思われる人相書きが置いてあった。先に口を開いたのは二人の男のうちの一人、どちらかといえば年若いほうの男だ。
「お邪魔しています。留守中に上がり込み申し訳ありません。我々は神関から参りました」
 礼儀正しい。シロは一拍置いてから口を開いた。
「…我が家になにか」
「この辺の住人皆さんのお宅にお邪魔しています。…現在、巫女が行方不明なのはご存知ですか?」
「一応」
「これが、巫女の人相書きです」
 そう言って、卓の上を指さす。少女の人相書きは、確かにミーコを思わせるものだった。
「この辺りで目撃情報がありました。なにかご存知ありませんか?」
「……さぁ。覚えがないな」
「本当でしょうか?」
 表情を変えずに答えたシロに、官吏は少々目つきをきつくした。探るような視線を、シロは受け流す。
「と言うと?」
「目撃情報は、若い男と歩いていたというものです。バス停からこちらのお宅の方面に向かっていたということでした。該当のバス停からこちら側には、このお宅しかありません」
「この家を通り過ぎて一里も歩けば別の村に着くが」
「ええ。ですので、そちらには別の官吏が向かっています。………本当に、ご存知ありませんね?」
「知らねぇな」
 きっぱりと答えたシロに、官吏たちは顔を見合わせてうなずいた。なんの合図なのかは分からない。
「では、念のために家の中を改めさせてもらいたい」
 次に口を開いたのは、黙っていたもう一人の男だ。シロたちよりも幾分年配らしい男は、重々しい口調でそう告げる。
「御身の潔白を証明するためにも、快く承諾してもらいたいのだが」
 クロが心配そうにシロを窺っている。シロは表情を変えなかった。
「どうぞご自由に。ただし、何も出てこなかった場合はこちらからも一つ要求がある」
「内容は?」
「うちの妹に仕事を紹介してくれ」
「……なに?」
 思いもよらなかったのだろう。官吏が虚を突かれた顔をする。
「見ての通り不便な立地だ。バスは週に二回、一日に二本だけ。他には山と川しかない。近隣の村からどうにか仕事をもらっているとはいえ、潤沢とは言い難い。これから冬を迎えたら凍え死ぬかもしれないからな。毛布の一つも買いたいんだよ」
「それは、我々の管理するところでは…」
「別に神界から仕事をよこせと言っているわけじゃない。自慢じゃないが妹の器用さは太鼓判を押せる。繕い物から草鞋の製作までお手のもんだ。薬草にも詳しい。そういったものに困っている奴を教えてくれたら、交渉はこちらでする」
 官吏は迷っているようだった。もしも巫女がここにいれば、もっとむちゃくちゃな願いを言ってくると思っているのだろう。それこそ、家探しを止めたくなるような。シロが言っていることは現実的な要求だ。却って巫女はここにはいないという根拠になる。
「どうだ? 悪くないだろ」
「我々の判断では、勝手にヒトを紹介など出来ない。不平等を生む」
 シロが口の端を歪めて笑った。
「しかし一方的に家探しをするだけでは、それこそ不平等だろう。神がそんな不平等を許すと信じているならそうすればいいが」
 官吏はぐっと押し黙った。神の名を出すと、この星の人々は弱い。神を信じるあまり、自分に自信がなくなるからだ。絶対的なのは神であって自身ではない。なにより優先されるのは平等性だ。
 馬鹿馬鹿しい、とシロは思っている。
「……この件は、いったん預からせてもらう。上役に判断を委ね、必要とあらば神にご判断いただく。家の中を改めるのはその後で」
 苦々しく男がそう言って、湯呑に口を付けた。ずずっとすすってから、クロに向かって言う。
「この煎茶」
「はい?」
「高い茶葉ではなさそうだが、なかなかにいい味だ。器用だというのは本当らしい。さぞいい仕事をするのだろう」
「ありがとうございます」
 クロが微笑むと、男はシロを見て告げた。
「突然お邪魔して申し訳なかった。お暇する」
「お構いもしませんで」
 口先だけでそう言って、シロも男たちと立ち上がる。玄関で草履を履く男たちを黙って見ていると、口を開いたのはやはり年配の男だった。
「…神界から逃げ出した巫女には、死しか待っていない」
 小さく息を飲むクロの前で、シロはやはり表情を変えない。
「捕まれば、この星で二例目の処刑となるだろう」
「………それがなにか」
「かつて、畏れ多くも神々に剣を向けた者がいることはご存知か?」
 表情を変えないまでも、ぴくりと反応してしまうのは仕方がないことだった。一瞬だけ目を瞑ってから、シロは答える。
「ま、それも一応は」
「神々を弑し奉った虐殺者にも、温情は与えられたと聞く。年若い巫女にそれが与えられないのは、我々としても残念である」
「結局、なにが言いたいんだ」
「我々の任務は探すことだと言いたいのだ」
「あ?」
「では、御免」
 眉間に皺を寄せたシロと、シロの後ろで戸惑っているクロに一礼して、二人の男は帰っていった。
「ち…。面倒くせぇ」
「ねぇシロ。ミ」
 言いかけたクロの口を、手で塞ぐ。
「まだ言うな。近くにいる」
 クロがうなずいたのを確認してから、手をどかす。
 シロは他人の気配に敏感だ。息を殺して相手を窺うことが多かった為だ。
「お前は湯呑でも片付けてろ」
「うん…」
 処刑という言葉を聞いて、クロは明らかに落ち込んでいる。そんな彼女に、シロは掛ける言葉を持たない。探そうとも思わなかった。
 やがて官吏たちの気配が完全に消えてから、シロは庭に出た。
「ミーコ、待たせたな」
 納屋の戸を開けると、中でミーコが膝を抱えてうずくまっていた。
「ミーコ?」
 声を掛けると、少女はびくりと肩を震わせた。ゆっくりと顔を持ち上げる。
「……あ」
 まるで恐ろしいものでも見るように見上げてきた少女は、相手がシロだと解るなり肩の力を抜いた。
「どうした。暗いのが怖かったか」
 ミーコは答えず、立ち上がると同時にシロに抱きついてきた。身長が低いため、シロの腰に突進した形になる。
「おい」
「大丈夫じゃ。ちょっと立ちくらみをしただけじゃ」
 立ちくらみなどという勢いではなかったが、シロは何も言わずに置いた。やれやれと息をついてから、腰にしがみついたままの少女を引きはがす。
「行くぞ」
 そのままひょいと抱き上げて、玄関に向かう。ミーコは黙って首にしがみついていた。

「おかえり、ミーコ!」
 引き戸を開けると、クロが勢いよく出迎えてきた。せめてミーコの前でくらい、と必死の空元気だろう。
「草鞋、どうだった? 足痛くならなかった?」
 シロにしがみついたままのミーコの頭を撫で、聞いてくる。それで、やっとミーコの緊張も解けたようだった。
「大丈夫じゃ。とても歩きやすかった。二回目は自分で紐も結べたぞ。脱ぐのはこれからだが方法は覚えた。それに、弁当も美味しくてな。あっという間に食べた。クロはすごいな」
「そう? ありがとう」
 ミーコが身体から力を抜いたので、シロは三和土に少女を降ろした。宣言した通り、ミーコは自分で紐をほどき始める。もたもたとしていたが、やがて両足とも脱ぐことに成功し、きちんと揃えて三和土の端に置いた。
 三人で廊下を歩きながら、クロとミーコは会話を続ける。
「それで、お父さんの手がかりは見つかった?」
「あ、それはまだじゃ。じゃが、希望は持っておるぞ。今日までで三つの村に当たったから、残す村はあと二つじゃ」
「そっか。早く見つかるといいね」
「うむ。早く会いたい。父親は、わらわを見たらなんと言うだろう」
「それは喜んでくれるよ。こんなにかわいい娘が会いに来てくれるなんて」
「そうか?」
「もちろん」
 にっこりと笑うクロが無理をしていることは明白だ。シロにしても、この少女が処刑される場面など、考えたくない。それは、面倒だからではなく。
「…なら、なんでだろうな」
 つぶやいてから、音にしてしまったことに気が付いて自分でも驚いた。幸い、ミーコたちは会話に夢中で気付かなかったようだ。
「さて。いっぱい歩いて疲れたでしょう。お風呂が沸いているから、先に入ってきなよ。着替えも脱衣所に置いてあるし」
「うむ…。しかし、二日も続けて世話になっているわらわが一番風呂では…」
「子どもが遠慮しないの! それとも一緒に入る?」
「いや、遠慮する」
「照れなくていいのに。あ、シロと一緒の方が良かった?」
「馬鹿を申すでない! ではお先に失礼する!」
 叫ぶように言って、ミーコはぱたぱたと風呂に向かっていった。その後ろ姿に手を振って、ミーコが脱衣所に消えてしまってから、クロは手を下ろした。隣に立つシロを見上げる。もう、笑顔はない。
「…なんだよ」
「あたし…。あたし、あの子が処刑されるの、やだなぁ…」
 涙をこらえるあまり変な顔になっている。
 廊下にいたままではミーコに会話が聞こえるかもしれないので、シロはクロの腕を引いて居間に入った。座りもせず、シロは言う。
「拾って来てからまだ二日だぞ。なにをそんなに肩入れしてんだよ」
「情が移るのに時間は関係ないでしょ。シロだってずいぶんかわいがってるくせに」
「馬鹿言え。成り行きだ。あいつがどうなろうと俺には…」
 一呼吸おいてから、続ける。
「俺達には、関係ねぇよ」
「もう関係あるじゃない。同じ釜の飯を食ったし同じ釜の風呂に入ったじゃない」
「それがどうした。そんなこと言い始めたら同じ農家から米を買ってる奴は全員連帯感持たなきゃいけなくなるじゃねぇか」
 斬り捨てるような言い方に、クロが唇を尖らせる。
「本当に関係ないと思っているなら、なんでさっきの官吏からミーコを隠したのよ?」
「あの場で見つかったら通報義務を怠ったのがばれるだろうが」
「嘘、それだけじゃないくせに」
「他になにがあんだ」
「シロはミーコがかわいいのよ。見てれば判る」
「お前の目は節穴か。俺があんなガキをかわいがっててたまるか」
「自覚ないなら重症ね。相当過保護に見えるけど?」
「眼医者に行って診てもらえ」
「シロこそ鏡でも見てきたら? 柄にもなく熱くなっちゃって。今むきになってるのが証拠でしょ」
「面倒事を回避したいだけだ」
「自分で拾って来たのになに言ってるのよ。雨の中震えてるのが気に入らなかったって? それはね、心配だったっていうのよ。シロはミーコを心配したの!」
「俺の為だ」
「シロがどう思おうと、ミーコの為にもなったの! もういい加減わかんないふりするも逃げるのも止めたら!?」
 クロがここまで食って掛かるのは珍しい。シロは押し黙って、大きく舌打ちをした。クロに背を向けて、乱暴に居間の扉を開ける。
「ちょっと、ここからまで逃げる気!?」
「うるさい。寝る。今日は俺も疲れた」
 振り返らずにそう言って、シロは自室へと向かった。
 荒い足音を立てながら廊下を歩き、やはり乱暴に扉を開けた。いらいらと着物を脱ぎ、部屋着に着替えてごろりと横になる。目に見えるすべてを遮断するように、目を閉じた。
 しかしせっかく閉じた瞼の裏に、失った女の影がちらついてくる。

 後ろ姿。
 ゆっくりと振り向く女。
 シロをまっすぐ見つめてくる。
 そうして言うのだ。

―――………、…?

 拳を握って、自身の脇に叩きつけた。

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