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 目を開けると暗かった。
 ……ああ、夜か。
 数瞬遅れて気がついて、すぐそばに誰かいるのに気が付いた。
 思わず臨戦態勢を取りかけて、すぐに解いた。
「…ミーコ…?」
 シロのすぐ左脇で、ミーコが丸くなって寝ていた。落ち着いてよく見てみれば、シロの上には薄手の小さい毛布が掛けてある。これを掛けて、シロにつられて目を閉じたということだろうか。
 しかし、これだけ近くにいたのにまったく気配に気づかなかった。不覚である。
 ミーコの左手は、シロの服の裾をしっかりと掴んでいる。ここまでされて気付かないとは、もしかしたら自分で思っているよりも疲れているのかもしれない。
 シロの上に掛かっている毛布を、ばさりとミーコの身体に掛ける。シロにとっては膝掛け程度の大きさしかなかった毛布は、ミーコの身体をすっぽりと包んだ。
 少女は小さい。小さな手は裾を握っているのに、握った場所は本当に裾の裾で、寝ているのに遠慮しているのが分かる。
 この少女が、捕まれば処刑される。
 失った婚約者と同じように。
 と、からりと音がして、戸が開いた。クロが立っている。
 いささか気まずかったが、シロは目を逸らすことはしなかった。
「…なんだよ」
「今、毛布掛けたね。ミーコに」
「それが?」
「シロにとってどんな利益があってそうしたの?」
「………」
「自分のそばで風邪を引かれたら気になるから? それって、要は風邪を引かせたくないってことだよね」
「…うるせぇな」
「もう認めたら? どんなにぶっきらぼうに見せかけても、シロは優しいんだよ。お人好しなんだよ。大体さっきの毛布を買いたいって言葉だって、その子がずっとここにいるなら足りないと思ったからでしょう? だってあたしたちの分はあるもんね?」
「うるせぇっつってんだろ」
「シロ!」
「分かったよ」
「え?」
「こいつを護ればいいんだろ」
 言って、一度ミーコに視線を落とし、それからクロを見上げる。
「護ってやるよ。俺の目が届くところにいるうちは」
「シロ…」
「言っておくが俺の為だ。こんなにちっちぇのが処刑されたら、確かに気分が悪いからな」
 言い訳のように付け加えたシロに、クロはじんわりと笑った。
「うん、じゅうぶんだよ」
 ち、と舌打ちしたのは、照れ隠しでもあったし、覚悟を決める為でもあった。
「そうと決まれば、とりあえず風呂に入る。―――おい、ミーコ。起きろ。放せ」
「ちょっと、乱暴にしないでよ。せっかく寝てるのに」
「今ぐっすり寝たら夜中に目が覚めちまうだろうが」
「その発言がすでに保護者だけど」
「やかましい。どうせお前の布団で寝るんなら、お前まで眠れなくなるぞ」
「その子、昨日は寝てないよ」
「あ?」
 静かに近づいてきてミーコのそばにしゃがみこんだクロは、そっと少女の頭を撫でた。
「あたしも気が付いたのは明け方に近かったけど。ずーっと身体に力が入ってたし、時々震えてた。たぶん、一睡もしてないんじゃないかな。枕が変わると眠れないのかも」
「なに言ってんだ。昨日は俺の膝枕でも寝てただろ」
「冗談だよ。つまり、シロのそばでしか寝てないんだよ、この子」
 眉間に皺を寄せて、シロはミーコを見下ろす。一睡もしていないのに、あれだけの距離を文句も言わずに歩いたのか。慣れないはずの草鞋で、山越えまで。
「ったく…」
 面倒なガキだ。甘えないのではなく甘え方を知らないのだろう。どんな育てられ方をしたら、たかが七つでこうなるのか。
 どんなでもいい。聞かずに、関わらずに済まそうと思っていたがもう止めた。
「関わってやるよ。………とことんまでな」
 そう言って、今度はゆっくりとミーコの手を外しにかかった。
 その様子を、クロは微笑んで見守っていた。

 そしてさらにその様子を、庭から見ている者がいた。
 源左衛門である。
 彼はもう女装はしていなかった。黒い忍装束に身を包み、じっとシロたちの様子を見つめていた。 

「ミーコ。さっきの来客だけどな」
 夕飯を食べ終わり、クロが三人分の煎茶をいれたところである。シロはそう切り出した。ミーコがびくりと肩を震わせる。
「神界から逃げ出した巫女を探しているんだそうだ。捕まれば処刑だとも言っていた」
「そ…そうか。いや、わらわは巫女ではないゆえ、関係ないが」
「官吏は明らかに俺たちのことを疑っていた。近いうちにまた来るだろうな」
 湯呑をぐっと握りしめて、ミーコは動かない。
「今度は家探しも断りきれないかもしれない。家の中を捜索されて昨日お前が来ていた白衣に緋袴が見つかったら、言い逃れも出来ない」
 クロは黙って見守っている。
「着物を燃やすわけにもいかねぇ。もしも家を見張られていたら、燃やそうとした時点で御用だからな。だから」
「…だから…なんじゃ?」
「とりあえず着物を解く」
「ほど、く?」
「クロの腕なら、一晩あれば仕立て直しが出来る。座布団とか布巾とか…。とりあえず元が着物だってわからないようにしてもらう。白と赤の組み合わせは巫女にしか許されていないが、それは着物に関してだからな。官吏たちも、まさか自分が座っている座布団が巫女の衣装だとは気付かねぇだろ」
「任せて。なんなら刺繍も施して完璧にわからなくさせてみせるから」
 クロが微笑んでみせると、ミーコはやっと顔を上げた。
「だが着物はお前のもんだからな。一応は許可を取っておくべきかと思ってこうして話した。どうだ?」
「おお、そうか。わらわに依存はないぞ」
「そうか。さすが巫女。懐の大きさが違う」
「わらわは巫女ではない!」
「じゃあお前は誰だ?」
 冷たいとも思える表情で聞き返したシロに、ミーコは今度こそ固まった。しかしシロはもう退かない。
「聞こえなかったか。お前は誰だと聞いたんだ」
「わ…わらわは、ミーコじゃ」
「名前じゃねぇよ。身分を聞いてんだ」
「一般庶民じゃ」
「一般庶民には白衣に緋袴は手に入らねぇよ」
「あ、あれは、心の清らかな者には群青色に見えるのじゃ。あれは、そういうあれなあれじゃ」
「もうちょっとマシな言い訳を考えろ」
 切り捨てるように言うと、ミーコは唇を尖らせた。そんなミーコにシロは畳みかける。
「聞きたいことはまだある。お前の家はどこだ?」
「どこって…。ええと、その、あれじゃ」
 ぼそぼそと言いながら人差し指を庭の方に向ける。
「あっちのほう」
「あっちには海しかねぇが?」
「い、いや、だから…」
「…神関は、海に浮いているな」
「う、しまった」
「お前、実は馬鹿だろ」
「誰が馬鹿じゃ!」
「馬鹿正直だって言ってんだよ」
「正直者が馬鹿を見る世の中など間違っておる」
「その意見には賛成だが、今はそんなこと言っている時じゃねぇよ」
 シロは、冷めかけている煎茶をずずっとすすった。
「神界、それも神関から来たんだろ。たぶん、官吏の奴らの手引きで」
 大きな目を、ミーコはさらに見開いた。
「何故…」
「お前は白衣に緋袴のままだった。いくら神界の奴らが平和ボケしていたとしても、巫女が堂々とその格好で出歩いていたら目立つはずだ。にも拘わらずお前は無事に逃げ出せた。理由は一つ。手伝った奴がいたからだ。それも複数」
「おお…。シロは、本当に頭が良いのだなぁ…」
「感心してる場合か。誰に手引きされた?」
「分からぬ」
「おい」
 眉間に皺を寄せたシロに、ミーコは慌てて続けた。
「本当に、分からぬのだ。手紙で指示された故」
「…手紙?」
「少し前、寝所の枕元に手紙が置いてあった。中身の通りに動いたら下界に下りられたのじゃ」
「お前の寝所に入れるのは」
「下女が数人。じゃが鍵を持っていたのは彼女たちの上役じゃ。鍵がどう管理されているのかは知らぬが」
「鍵?」
「言うたであろう。母親が身罷ったことを父親に知らせたいと言ったら閉じ込められたと。手紙が届いたのは、閉じ込められていたほうの寝所じゃ。神関の最奥の部屋でな。めったにヒトは近寄らぬ。廊下には見張りもおった」
「手紙には、なんて書いてあった?」
「鍵を開けておくから、見張りの交代の時間を狙って抜け出せと。神界中の立ち番の位置も事細かに書いてあって、どう行けば見つからずに抜け出せるか書いてあった。あと、この地域周辺の地図も入っておったな。まあ、わらわはこの星の道ならすべて知っておるから、地図は必要なかったが」
「鍵を盗める位のヒトが、手引きしたってことよね」
「そうなるな。それでなくとも、立ち番の位置をすべて把握するのは下女には難しい」
 クロの言葉に同意して、ミーコはぽつりと言葉を続けた。
「わらわは、うれしかったのだ」
「というと?」
「神界にも、わらわの味方がいるのだと思ったからじゃ。基本的に口を利いてはならぬと言われておったから、みなわらわを遠巻きに見るだけであった。じゃが、そんな中でもわらわを父親に会わそうとしてくれる者が、わらわの希望を聞いてくれる者があるのだと」
 口元をほころばせたミーコとは対照的に、シロは面白くなさそうに片目を眇めた。
 ミーコの言っていることも解る。だが。
「そっか。それはうれしかったね。良かったねぇ」
 クロが口を開いたので、シロは黙った。
「誰かが自分の為に動いてくれるって、本当にうれしいもんね」
「その通りじゃ! シロに会うまで寒かったしひもじかったが、それでもわらわを逃がしてくれた者を思うと耐えられたのじゃ」
「ミーコはやっぱりいい子だね。そうやって、他人を思いやれるんだもの」
「いや、それは違うぞ。前にも言ったが」
「え?」
 ミーコの頭を撫でようとしていたクロが、どうしてと覗き込む。
「どんな理由があり誰が味方であっても、わらわは役目を放り出して逃げたのじゃ。……そんなわらわが、良い子であるはずがない」
「でも、それを言うならそもそも閉じ込めた方が」
「閉じ込められるようなことをしなければ良かったのじゃ。すべてはわらわに責がある」
 じゃが、とミーコは続ける。
「それでも、父親に会ってみたかったのじゃ。母親は亡くなってしまった。わらわにはもう、父親しかおらぬ。たとえ捕まって処刑になろうとも、一目でいいから父親に会ってみたい」
「処刑なんかさせねぇよ」
 低い声で、シロはそう言い切った。
「させてたまるか」
「ありがとう。じゃが、いつまでも逃げ切れるとは思っておらぬ。父親に会って、母親のことを話して、気が済んだら出頭するつもりじゃ。父親にもシロやクロにも迷惑はかけんようにするから、心配するでないぞ」
「そんな心配はしてねぇよ。お前は自分の心配してろ」
 こく、とミーコは煎茶を飲んだ。うなずいたかどうかは、判らなかった。
「さて、最後の質問だ」
「な、なんじゃ」
「結局お前は何者なんだ」
 まっすぐに、シロはミーコを見つめた。
「答えたくないなら答えなくていいなんて、俺はそんなに優しくねぇぞ。俺はさっき官吏に喧嘩を売った。もうここまで巻き込まれてんだ。身分くらいは明かすのが筋じゃねぇのか」
「それは…」
「確かに俺が勝手にやったことだ。お前を拾ったことも父親探しを手伝ってんのも官吏に喧嘩を売ったこともな。で、お前は俺が勝手にやったことだからと口をつぐんだままにしとくつもりか」
「い、いや」
「万が一お前が官吏に見つかった時は、俺たちも逃亡ほう助でしょっぴかれるだろうな。その時、俺はどこの誰かも知らない相手をほう助してとっ捕まることになるのか? 下手すりゃ俺も処刑だ。なんの事情も知らないのにな」
 卑怯な言い方だ。シロもクロも、おそらくはミーコもそれを解っている。それでも、ミーコはそこを責めようとはしなかった。
 問い詰められて、シロの卑怯さには言及せず、しばらく黙って、ようやくミーコは口を開いた。
「わらわは」
 顔を伏せて、ただ湯呑を見つめて、続ける。
「わらわは、本当に巫女ではないのだ」
 きゅっと、手に力が入っていることが判る。シロもクロも何も言わずに続きを待った。
「今現在、この星に巫女はおらぬ」
 反応したのはクロだった。
「……いない?」
「前任の巫女は、わらわが産まれると同時にその任を解かれた。今は、神関の役人として勤めておる。わらわのことは、恨んでおらぬと言ってくれたが」
「ああ、だから、巫女に会ったことはないって言っていたのか」
 ミーコはうなずいた。
「わらわがあの者に会った時、すでに巫女ではなかったからな」
「どういう意味?」
「わらわは巫女になるべく育てられた。巫女にするしかなかったのじゃ。白衣に緋袴は巫女しか身につけられぬ。わらわがそれを着たら、前任者は脱ぐしかなかろう」
「だから、どうしてそんなことに」
「巫女だけではない」
「うん?」
 一呼吸おいて、ミーコは言った。
「この星には、もう神もおらぬ」
 沈黙が落ちた。
 やがて、口を開いたのはシロだった。
「まさか…。亡くなったお前の母親ってのは」
「この星の、最後の神じゃ」
 しばらくは、誰も何も言わなかった。

 家の中がしんとなって、その時になってようやく弱い雨が降っていることにシロは気が付いた。月明かりは届いているから、長くなることはないだろう。ただ、虫の声さえも聞こえてこない家の中は静かで、余計に雨音が気になった。
 ここまで来たら、ということなのだろう。沈黙を破ったのはミーコだった。
「天孫降臨からしばらくののち、神界で謀反が起こったのは周知の事実じゃ。むろんそなたらも知っておろうが、神々に牙を剥いたのは側近であったらしい。その時、神は一柱だけ生き残った。理由は知らぬ。謀反人は処刑されたとも追放されたとも言われておる。資料が残っておらぬゆえ、真偽のほどは判らぬが」
 どちらも真実だ。シロの婚約者は処刑され、シロは追放された。
「生き残った神がこの世界を作り上げたと言っても過言ではない。巫女制度を作り、人々をまとめ、関所を作ってこの世界を整備した」
 それは、半分はシロの婚約者だった女の提案だ。
「神は、分裂することで命をつないでいく。寿命は人間のおよそ十倍じゃ。ただしそれは、分裂した場合の寿命であることは、あまり知られておらぬ」
 クロが先を促す。
「我が母は、謀反騒ぎの時に生き延びた唯一の神じゃ。ずっと子を作らず、この星唯一の神として生きておった。もう、千年近く」
 シロが目を見開いていた。
 あの時の、あの女神が。
 死んだというのか。では何故。
 何故、シロは今こうしているのだろう。
 思い出す。
 あの時、喉元に剣を突きつけたシロに、女神は言ったのだ。

―――返してやろう。
―――ただし、お前の望む通りにはならぬ。

「ずっと、一人きりで生きてきたのね。…え、でも、ちょっと待って。ミーコにはお父さんがいるって…」
 クロの言葉に、ミーコはうなずいた。
「わらわは、神とヒトとの合いの子じゃ」
 シロはなにも言えなかった。
 殺し損ねた神の子が、目の前にいる。
 目の前に。
「母親は、視察と称して身分を隠し、ちょくちょく下界に下りていたらしい。そこで、父親と出会ったのじゃ。そうして、わらわが生まれた」
 あの時、彼女が名乗り出ると言った時、最初に頭を下げた女神。
「神と人間との恋仲など、許されるはずもない。身分違いも甚だしいと神官が言っておった。そうは言ってもわらわを殺すことも出来ぬ。謀反騒ぎ以降、今の神界は、基本的に殺生は出来ぬからな。じゃから、神ではなく巫女として育てることにしたそうじゃ」
 頼む、と泣いた女神。あの女神さえ口をつぐんでいてくれたら、他の神が頭を下げることもなく、彼女は処刑されることもなかったかもしれない。
 すべては、あの女神が。
「人間は神には会えぬ。人間の血を引いている以上、わらわとて例外ではない。しかし巫女ならば会える。わらわを巫女としたのは、神官たちのせめてもの思いやりだったのやもしれぬ」
 千年前の情景が、ありありと蘇ってくる。奇しくも、今も雨が降っている。
 冷たくなった彼女。
 外の雨。
 血の海。
 怯える同胞。
 逃げ惑う神々。
 それを、追い詰めていく自分。
「ともあれ、わらわは表向きは巫女として神界で生きておった。神の宣託を受けたわけではないから、正式には巫女ではない。わらわの存在を視界にも入れぬ者も少なくなかった。しかし少々窮屈ではあったが、特に不満は無かったのじゃ。母親にはたまにしか会えなかったが女官は優しかったし、親切にしてくれる官吏もいたし、関所内の書物を読み漁るのは楽しかった。母親が、亡くなるまでは」
「お母さんが亡くなったのは、いつ?」
「一か月ほど前じゃ。…わらわに、すまぬと言い置いて亡くなった。謝るべきは、わらわのほうであるのに」
「どうして?」
「神は、ただ生きていくだけならその寿命はほとんど永久じゃ。千年では効かぬ。じゃが、分裂して子を成すとその時点から寿命は人間の十倍ほどになる。……子どもが、生命力を奪うからじゃ」
「そんな…」
「文字通り命がけで子を成すのじゃ。子を成したら、ゆっくりと時間を掛けて生命を吸い取られ、子の成長とともに親は衰弱していく。普通の神ならば子が大人の背格好になるまで生き長らえるはずじゃが、わらわは人間の血も引いておる。きっと、普通の神よりも多く奪ってしまったのだろう。意識的ではないにせよ、わらわが母親の寿命を縮めたのじゃ」
 クロはなにも言えないようだった。初めて知ったのだから、無理もない。
 そう、クロはなにも知らないのだ。なにも。
「親は覚悟の上で子を成すのであろうが、子としてはやり切れぬものがある。じゃが塞ぎ込む暇もなくてな」
「どうして?」
「わらわの今後を巡って、神官たちが議論を始めたのじゃ。神はもうおらぬ。しかしこの星の人々は神の存在を信じ、その力に頼っておる。だからこそ巫女の存在も成り立っておる。そこで、わらわを神として認めるべきだと言う者と、神の崩御を隠してわらわを正式な巫女とし、人間界に公表すべきだとする者に別れたのだ」
 ミーコの湯呑は、すでに空になっている。そっと、卓の上に湯呑を置いた。
「わらわの意見を聞く者もいたが、しょせん子どもの言うことなどと言って議会では却下されたようじゃ」
「ミーコは、どんな意見を出していたの?」
「わらわは、半分とはいえ神の子じゃ。この星を治めることが役割ならそうすると。むろん、若輩者故一人では無理じゃ。じゃから、神官たちにも手を貸してほしいと言った」
 模範解答だ。意識は千年前に飛ばしたまま、頭のどこかでシロはそう思っていた。七つの子どもの意見とは思えないほどに。
 いや、待て。
 ………七つ?
「議論が続いていたある日、とある神官がわらわに言ったのだ。……わらわはまるで、生贄のようじゃと」
「………なんだと?」
 意識が今に戻ってきたところでそんな言葉を聞き、シロは思わず反応した。
「もう一回。なんて言われたって?」
「生贄のようじゃ、と」
「生贄…」
 クロがつぶやく。シロは小さく口を開けた。
 生贄。犠牲。それではまるで。
「その言葉の意味も、あの者がそう言った理由もよくはわからぬ。じゃが、急に恐ろしくなったのじゃ。神官たちに言われるがまま、あそこにいることが。わらわの処遇は自分たちが決めるゆえ、わらわはただ待っていればいいと言った神官たちが。母親に相談したかったがすでに母はおらぬ。そこで、ふと父親のことを思い出した」
 父親について、詳しいことは聞いていなかった。ただ、優しくて強くて手先が器用であったことは聞いていた。母親の口調から、好ましい人物であることはうかがい知れた。
「思い出したら、急に会いたくなったのじゃ。どうしても会ってみたかった。そこで、どうしたいかと聞いてきた神官にそう告げた。そうしたら閉じ込められて、一週間ほど前に手紙が届いて、今に至るというわけじゃ」
 長い話を終えて、ミーコは息をついた。
「そう…。そうだったの…」
「これがすべてじゃ。なにか質問はあるか?」
「お前、いくつだ?」
 ほとんど間を置かずに、シロが聞いた。ミーコがきょとんとする。
「じゃから、申したであろう。もうすぐ七つじゃ」
「違う」
「いや、違うと言われても」
「お前の母親と父親が出会ってから何年経った? 人間の時間でだ」
「あ」
「え、どういう意味?」
 疑問符を浮かべるクロに、シロは舌打ちせずにはいられなかった。
「神の寿命は、子どもを産んでからは人間の約十倍。人間の平均寿命は大体六十歳。ということは、女神が死んだのは、それまでの千年は別として大体六百歳。しかも、出会ったのはもっと前。人間なんか、生きているわけがねぇだろ」
 クロは目を見開き、ミーコは固まっていた。
「いや、さっき普通の神よりも短命だったと言ったな。正確には何年だ?」
「……七十年ほどじゃ」
 ため息をつかずにはいられなかった。
「どっちにしろ生きてねぇな」
 シロは納得していた。ミーコが父親を捜しに出てからすぐに燃やされた関所の住民管理台帳。八年前どころか百年前のものも焼失した。特定の台帳ではなく倉庫ごとすべてを燃やしたのは、父親が正確に何年前の住民だったか知られないためなのだろう。
「いや…いや、しかし! 母親は言っておった! 父親はきっと、どこかで息災であると!」
「確かめたわけじゃないんだろ。そもそも千年も生きていた女神だ。人間と同じ時間の感覚をしていたとは思えねぇな」
「では、神官たちは何故そう言ってわらわを諦めさせなかったのじゃ!? それが分かっていれば、わらわとて逃げ出したりは…」
「お前が「逃げた」という事実を作った方が都合のいい奴らがいたんだろ」
「ねえ、待って。じゃあどうしてミーコは自分のことを七歳だなんて…」
 クロからの当然の疑問に、答えたのはミーコだった。
「人間の寿命に合わせた数じゃ。わらわは人間との合いの子故、神が子を成してからの数え方が適用された」
 淡々とそう言ったミーコに、クロは眉を寄せる。
「ミーコ…」
「しかし…そうか」
 ぽつりと、そう続ける。
「わらわには、もう、父親もおらぬのだな…」
「ミーコ」
「本当に、独りなのだな…」
 少し間を置いて、急に顔を上げる。少女は笑っていた。
「少し考えれば判ることであった。母親が亡くなって冷静ではなかったとはいえ、あまりにも間が抜けておった。いや、恥ずかしいことじゃ」
「ねえ、ミーコ」
「本当に、二人のことは無駄に巻き込んでしまったな。すまぬ。散々歩かせた上に官吏に喧嘩を売らせた以上、謝って済むことでもないが…」
「ミーコ、聞いて」
「明日にでも関所に出頭しよう。なに、二人のことは咎にならぬよう、なんとか掛け合ってみる故、心配せずとも良いぞ」
「ミーコ!」
 がしりと、クロはミーコの両肩を掴んだ。
「泣きなさい!」
 ミーコの表情が止まった。
「泣きなさい。……大丈夫だから」
「わらわは、別に…」
「もう大丈夫だから。ね?」
 見る見るうちに、大きな瞳に涙が溜まっていく。
 ミーコが大声を上げて泣き出すまで、数瞬もかからなかった。
 ミーコは泣いた。つられてクロも泣いた。シロはただ、それを黙って見ていた。
 彼女を失うきっかけを作った女神が遺した一粒種。
 憎しみが湧いてきてもいいはずだ。
 それなのに。

 きつく目を瞑って、二人の泣き声と雨音を聞いていた。

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