いまだに、千年も前のことを夢に見る。
夢の中で、何度も何度もシロは彼女を失う。
そうして、何度も何度も同胞たちを、神々を手に掛ける。
シロの手には彼らの血がべったりと付いており、拭っても消えることはない。
いつもは赤く染まった自分の手を見ていると目が覚めるのだが、今晩は違った。
目の前に、少女がいた。黒い瞳で、まっすぐにシロに笑いかけている。その少女をシロは抱き上げようとする。血の付いた両手で。
シロは、少女を血で汚すのだ。
「―――!!」
目が覚めると、まだ外は真っ暗だった。
上半身を布団の上に起こして荒い息を抑えつつ、シロは左側を見る。そこには、ミーコとクロがいる。
ミーコが散々泣いたのち、クロが今日は三人で寝ようかと提案したのだ。もちろんシロは良い顔をしなかったが、ミーコにじっと見つめられて仕方なく折れた。
しかしクロの部屋に入る気にはなれなかったので、結果的にシロの部屋で、ミーコを挟むようにして三人で横になったのだ。シロの家には二人分の布団しかないので、ミーコとクロは同じ布団で寝ている。
泣き疲れたのだろう、二人ともよく寝ているようだ。しばらく寝顔を眺めてから、シロは布団から抜け出した。手を洗いたかった。本当に血が付いているわけでもないことは、解っていたのだが。
台所で手を洗い、大きく息をつく。
「………いい加減にしろよ」
低く、地を這うような声で、シロはそう言った。
「もしかしてばれてないとでも思ってんのか」
続けて言うと、かたりと音がした。
「…源左衛門」
忍装束に身を包んだ源左衛門が、そこにいた。
「知っていて放っておくとはヒトが悪い。いつから気付いてました?」
「お前がここに来た時から。……お前、今は誰の指示で動いてんだ」
「いやぁ、それを言ったら商売が出来なくなりますから。でも安心してください。誓ってシロさんの不利益になるようなことはないですよ」
「ヒトんち見張っている奴に言われても説得力がねぇよ」
「あはは、確かに」
軽く笑って見せた源左衛門を、シロは一睨みしてから隣を通り過ぎた。
「あれ、終わりですか? もっと厳しく問い詰めてくれてもいいのに」
「そこまでお前に興味が無い」
「うわ、ひどい。おれはこんなにシロさんのことを慕っているのに」
「なら一つだけ質問に答えろ。―――お前の雇い主は、今日うちに来た神官だな?」
「言えませんって。でもまぁ、おれの表情を見てシロさんが判断するのは自由です」
そう言って、源左衛門は大きなそぶりでうなずいてみせた。ご丁寧に、片目をばちんとつぶっている。
源左衛門は、情報屋だ。商売道具となる情報を自分の目で確認する為に、諜報活動も自分で行っている。ヒトから伝え聞いたことは基本的には信じないというのが彼の信条らしい。
「俺の不利益にはならない、か…」
「シロさん?」
「言っておくが、あれに手を出すのは俺の不利益だ」
「…へぇ…」
シロの言葉に、源左衛門は薄く笑ってみせた。
「随分肩入れしてるんですねぇ」
「あれの処遇は俺が決める。他人からの横やりは我慢ならねぇ」
静かに、しかしはっきりと、シロのまとう空気が変わる。
「お前が情報屋としてどんな仕事をしようがお前の勝手だ。だが、肝に銘じておけ」
シロの気配に合わせ、気温までも下がっていくようだった。
「…あれに手を出したら、俺はお前を殺せるぞ」
冷たく、感情の伴わない声音は、シロが確かに本気であると告げていた。
その時、源左衛門は喜んでいた。
これだ。この表情が、見たかったのだ。およそ千年前、同胞と神々に牙を剥いたシロ。その時源左衛門はまだ産まれていない。だが、この星唯一の謀反、そして最大の殺戮事件として歴史書にも記載されている内容を見る度に、源左衛門の胸は高まった。平和ボケしたこの星で、謀反人はもはや伝説と言ってもいい。処刑されたとも追放されたとも言われる謀反人は、どんな人物であったのか。それを想像し、想像するだけでは満足できなくなって、調べていくうちに情報屋となっていた。
そのうちに危ない情報も扱うようになり、そのせいで命を狙われたが、それさえも源左衛門にとっては僥倖だった。とどめを刺される寸前に、偶然にもシロに出会えたからである。
シロの顔は知っていた。以前に神関に忍び込んだ際、最重要機密書類に目を通していたからだ。謀反を起こした理由までは記載されていなかったが、そこは勝手に想像することにした。とにかく謀反人の顔を覚え、そして、源左衛門はその資料を燃やした。なぜそうしたのか、明確な理由を彼は上手く言葉に出来ない。謀反人の情報を最後に閲覧したのが自分だとすることで、優越感に浸りたかったのかもしれない。ミーコが資料を見ることが出来なかったのはこの為だ。
シロに会えたことは、本当に僥倖としか言いようが無かった。シロが生きていたことに、心から歓喜した。だがその時のシロは、すでに源左衛門が憧れて止まない謀反人ではなかった。
クロとともに静かに暮らす、庶民でしかなかった。血の匂いはまったくせず、クロに対しては微笑みさえ向けていた。彼は完全に丸くなっていた。
つまらない。
面白くない。
こんな男はシロではない。
彼の牙が見たいのに。
クロがいるから悪いのかと思い、試しにクロを攻撃してみたこともある。あっさりと返り討ちにあった。シロにではなく、クロ自身に。シロは、最初から源左衛門がクロにかなわないことを見越していたのだろう、睨まれはしたものの、本気で殺気を向けられることはなかった。
いよいよもってつまらない。
源左衛門は待っていたのだ。かつての殺戮者が、再び殺気をまとうことを。
口元が歪んでいくのを止められなかった。止める気も無かった。
殺されたいわけじゃない。源左衛門はまだまだ汚く生きていくつもりだ。だが、殺気をまとったシロを間近で見ていたい。
二つの感情は、源左衛門の中で反発しあうことなく共存している。
「やっと、面白くなりそうです」
くつくつと笑う源左衛門を、シロは冷めた目で見やる。
「今はこれでお暇します。近いうちにまた」
「俺は二度と会わなくても構わん」
言い捨てて、シロは台所から出た。
自室に戻ろうと廊下を歩く。と、自室の戸が開いた。ミーコが顔を出す。足音で気が付いたのだろう、シロを認めるとてててと駆けよってきた。
「シロ!」
「…どうした。まだ夜中だぞ」
「なんとなく目が覚めてな。そうしたらシロがいなかったので、どうしたのかと思ったぞ」
駆けてきた少女は、両手を伸ばしてシロの袖を掴む。
シロの腰のあたりまでしか身長のない少女。一生懸命首を上げてシロを見上げている。
この少女があの女神の、娘。シロの婚約者を死に追いやった女神の娘。娘に罪が無いことは解っている。
解っては、いる。
けれども、少女を見ていると女神の顔がちらつく。あの女神さえ、あの時―――。
「…シロ?」
「ああ、いや…」
思考の波に囚われそうになって、ミーコの声に我に返る。薄暗い廊下では表情ははっきりとは見えない。見下ろす方も首が疲れるので抱き上げようとして、手が止まった。
血が、付く。
「どうしたのじゃ」
伸ばしかけた手で拳を握り、シロは自室へと足を向ける。
「なんでもねぇよ。寝ろ。明日からのことは、朝になってから考えればいい」
「そうじゃな。よし、寝よう」
表情をはっきり見ることが出来なくとも、少女が笑っていることくらいは判る。屈託のない笑顔で、シロを見上げている。
ミーコを拾ったことを、後悔し始めていた。
翌朝。
「………おい」
「はい、なんでしょう?」
「なんでお前がここにいる」
シロからこの上ないほど冷たい視線を向けられて、源左衛門はあははと笑った。
「いやぁ、腹が減りまして」
「それでなんでうちの食卓に普通に座ってんだ」
「クロさんが誘ってくれましたから」
「おい、クロ! どういうつもりだ!」
台所に立つクロに声を荒げると、クロはこともなげに答えた。
「だって、玄関先にいたから」
「面倒見れないものを拾ってくるな! 元いたところに返してこい!」
「そんな、犬猫拾ってきたみたいに…」
「犬か猫のほうがだいぶマシだ」
「シロさんが言うなら、おれは犬にでもなりますよ」
「お前は黙ってろ。っつーか帰れ。二度と戻ってくんな」
「シロさんの冷たい視線は、むしろご褒美ですから。どんどんください! さあ!」
「殴られたいのか、変態」
「まあまあシロ。ゲンくんも今回は敵じゃないって言ってるし」
大きな皿にたくさんの握り飯を乗せて、台所からクロがやってくる。シロの家には二人分の食器しかないから、白飯をよそえないのだ。ご飯茶碗に味噌汁を注いで、これで四人分の味噌汁が食卓の上に乗っている。
ちなみにミーコは、クロに教わって漬物を切っている真っ最中だ。包丁を持つのも初めてという少女は、よほど集中しているのか会話に入って来ない。
「信用できるか。大体お前、昨日はもう帰るみたいなこと言ってたじゃねぇか」
「だから、日付が変わってからまたお邪魔したんじゃないですか」
悪びれもせず言う源左衛門に、シロは大きな舌打ちをした。
「なんの用だ。さっさと済ませてとっとと帰れ」
「いえね、一応お知らせしておこうかと思いまして」
「だから、何を」
「もうすぐ神界から官吏の団体さんがここに来ますよ」
「ああそうかよ……って、なに?」
あっさりと告げた源左衛門に、シロの表情が変わる。
「団体?」
「ええ。おれの情報は確かですよ。たぶん、朝飯を食べ終わる頃には着くんじゃないですかね」
「なんでそんなことを俺に言う」
「言ったじゃないですか。シロさんの不利益になることはしないって」
「官吏どもにあいつの情報を流したのはお前だろう」
「ま、仕事ですからね」
「どっちについてんだ、お前は」
「心はいつもあなたと共にあります。でも仕事をしなければ生きていけません。ああ、この身が引き裂かれそうです」
「いっそ引き千切ってやろうか、俺が」
「シロさんになら、それもありかも」
まったく懲りない源左衛門を睨みつけてから、シロはクロと視線を交わした。クロは心配そうな顔をしている。
そんな顔は、してほしくない。
「シロ…」
「大丈夫だ。とりあえず飯を食う。逃げるにしても迎え撃つにしても、話はそれからだ」
「うん、そうだね」
「おい、ミーコ! いつまで漬物切ってんだ。食うぞ」
「今終わったところじゃ!」
切った漬物を皿に移し替えて、大事そうに両手で持ってミーコがやってくる。
「ふふふ。どうじゃ。中々きれいに切れたじゃろ?」
同じ大きさに切りそろえられた野沢菜を指して、自慢げに少女が笑う。クロが大げさに歓声を上げた。
「うん、上手! 初めてとは思えないよ」
「そうじゃろう! さあ、遠慮せずに食すが良いぞ。さあさあ!」
「分かったから座れ」
「うむ。で、なんの話をしていたのじゃ?」
「もうすぐ神界から官吏たちがやってくるって話」
「ほう、そうか。……なに!?」
思わず立ち上がったミーコに、シロは再度座れと言った。
「心配するな。お前を渡す気はねぇよ」
「し、しかし…」
「とりあえず飯を食え。少し、考えてることがある」
「考えって?」
クロの言葉にすぐには答えず、シロは握り飯を一つ手に取ってかぶりついた。しばらく咀嚼してから口を開く。
「昨日、官吏が言っていたな。「任務は探すことだ」って」
「ああ、確かに言っていたような…」
「「連れ戻すのが任務」だとは言わなかった」
「え…」
「他にも言っていた。巫女が処刑されるのは残念だと。俺には、連れ戻す気はないと言っているように聞こえた」
クロは、黙ることで先を促した。
「ミーコを逃がし、生き延びさせたいと思っている奴もいるってことだ。ミーコも言っていたな。女官は優しかったし親切にしてくれる官吏もいたと」
「ああ、言うたぞ」
「なら交渉の余地はある。ただし」
「ただし?」
「お前を逃がしたのはまったく反対の理由って可能性もある。その場合は、逃がした奴らの性根は腐っている」
「ふむ、と言うと?」
「女神が死んで、神界は二つに割れたんだってな。ミーコの処遇を巡って。神として認めるか、否か。権力者たちは自分こそを神の座にと思ったのかもしれない。その為には、人間との合いの子とは言え神の子がいるのはまずい」
あ、とクロが声を上げた。
「それって、つまり…」
「逃亡罪なら、堂々と処刑にする理由になる」
「ひどい…」
「この星はとかく平等性に拘るからな。神の子であっても罪は償わせる。そういうことだろ」
「まあ、そういうことでしょうね」
源左衛門がうなずいて、味噌汁をすすった。
「実際、ミーコに逃げるよう唆したのがどちらの派閥なのかは判らん。神界にいたら本当に命が危ないと思って逃がしてやったのかもしれんし、逃亡罪という既成事実を作りたい奴らが仕掛けたのかもしれない。その答えは―――お前が知ってんだろ」
味噌汁茶碗を持ったまま、源左衛門が止まった。
「お前がわざわざここに留まってんのは、雇い主である官吏に依頼されたんだろ? 俺たちに情報を流せってな。護る為なのか処刑する為なのか、答えろ」
しばしの沈黙。やがて、味噌汁茶碗を置いた源左衛門が笑い出した。
「さすがです。いやあ、さすがシロさん」
「いいから答えろ」
「答えてもいいですけど、おれにも利益があっていいと思うんです。なんせこの世は平等ですからね。そう、例えば…」
源左衛門の瞳が意地悪く光った。
「主席守護者だったころの話を教えてもらうとか」
「おい!」
シロが腰を浮かして源左衛門を止めに掛かるが、遅かった。その言葉は、しっかりとミーコの耳に届いていた。
「主席…なんじゃと?」
「おおっと、これは失言」
薄く笑いながら、源左衛門はわざとらしく自分の口を手で覆う。
「なんでもありませんよ、お嬢さま」
「なんでもなくはなかろう。今、主席守護者と言ったか? 神に守護者はおらんくなって久しい。最後の守護者は…謀反を…」
言いかけて、ミーコの言葉が弱々しくなっていく。シロのまとう空気の変化に気付いたからだ。
「…シロ…?」
シロは、静かだった。
とてつもなく静かに、殺気を放出していた。
そして、もう一人。空気を変えている者がいた。
クロである。
「守護者…。しゅご、しゃ…?」
「おや、こちらも何か反応してますねぇ。あ、もしかして何か思い出しそうですか? とても良い傾向ですね」
源左衛門がクロを覗き込むと同時に、彼の首に手が伸びてきた。
「ぐっ…!」
正確に、容赦なく喉笛を潰されている。強い痛みと呼吸が出来ないことに苦しみながらも、源左衛門は笑っていた。出来るなら大声で笑いだしたかった。
シロは、無言で手に力を入れ続けている。
前述のとおり、源左衛門は死にたいわけではない。自殺願望など無いのだ。ただ、シロが謀反人として神関を血で染めた時の表情が見たいだけ。自分の発言によってそれが見られるなら、詞を我慢するという選択肢すらなかった。
「が…」
謀反人の復活。それこそが源左衛門の願い。誰もかれもが平和だと嘯くこんな星は、滅んでしまえばいいのだ。何故なら、源左衛門の人生は平和ではなかったから。
ああ、しかしこのまま死んだらせっかくの謀反人の復活を見届けることは出来なくなってしまう。歪に笑い、頭のどこかで考えながら、意識が朦朧としてきた時だ。
「シロ、シロ。止めるのじゃ。それ以上はならぬ」
小さな手が、シロの腕に伸びてきた。
「シロ、止めてくれ。頼む」
きゅっと、ミーコが両手に力を込める。徐々に、シロの手から力が抜けていく。
「シロ」
最終的に、シロは源左衛門の首を放り投げるようにして手を離した。源左衛門が倒れ込んで、激しく咳き込む。
「…出て行け」
地を這うよりももっと凄みのある声で、シロは言った。
「二度と俺の視界に入ってくるな。………次は殺す」
源左衛門は、引きつるようにして笑った。シロのこの表情を引き出せたことが、他でもない自分が引き出したという事実が、うれしかった。
「また、会いに来ますよ」
しわがれた声でそう言って、最後に握り飯を一つ掴んで、彼は庭へと消えた。
「シロ…」
「手を離せ」
不安そうに見上げてくるミーコの方は見ずに、シロは少女の手を振りほどいた。茫然としているクロの目の前に膝をつく。
「クロ」
肩に手を置くと、クロはゆっくりと顔を上げた。瞳が揺れている。
「シロ…。あたし…しゅごしゃって、あたし…」
「大丈夫だ。何も考えなくていい」
肩に置いていた手を背中に廻し、片手でクロを抱きしめる。
「お前は、何も思い出さなくていい」
そう言って身体を離し、クロの両目を手で覆う。
「思い出すな」
少しの間の後、クロは気を失ってシロへと倒れかかってきた。
「シロ…」
ミーコが困惑して二人を見ている。舌打ちせずにはいられなかった。
「シロ、そなたは」
「事実だ」
ミーコの方を見ないまま、シロは言った。クロを抱えて、足で引き戸を開けながら。
「元主席守護者にしてこの星史上最悪の謀反人。俺のことだよ」
言い切ってから、やっとミーコを見る。
「俺が怖いか?」
ミーコは答えなかった。答えないミーコを置いて、シロはクロを彼女の部屋へと運ぶ。静かに横たえた瞬間、複数の気配に気が付いた。
家を囲まれている。
「……来たか」
つぶやいて、居間に戻る。ミーコは微動だにしていなかった。
「シロ」
「官吏が来たぞ。言っておくが、お前を渡す気がないのも本当だ。信じる信じないはお前の勝手だが」
「何故じゃ」
聞かれて、すぐには答えなかった。やがて、ゆっくりと答える。
「お前が処刑されたら、俺が殺せなくなるからな」
無表情なシロに、少女は即座に返してきた。
「それは嘘じゃな」
「……なんでそう思う」
「昨夜わらわが身の上話をしてから、同じ部屋で休んでおったのだぞ。わらわの首を斬る機会はいくらでもあったはずじゃ。殺す気などないのじゃろう?」
「おめでたい奴だな。機会をうかがってるとは思わねぇのか」
「じゃから、機会ならあった。じゃがシロは殺さなかった。それに」
「それに?」
少女はふふふと笑ってみせた。一寸の曇りもない、この二日間見せていた笑顔だ。
「シロの手はあたたかいからな。わらわは知っておるぞ。今朝、わらわの頭を撫でていてくれたであろう」
「………起きてやがったのか、このガキ」
「寝ておったぞ。頭に何か触ったので気がついて、それが心地よかったからまた寝たのじゃ」
うれしそうに笑う少女。シロは黙るしかなかった。
正直、この少女を手に掛けようという気持ちが、どうしても湧いてこないのだ。
昨夜、シロの部屋でこの少女は無防備に寝ていた。少女の言うとおり、寝首をかこうと思えばいくらでも出来た。そっと頸動脈を抑えることは簡単だった。それなのに、伸ばした手はいつの間にか少女の頭を撫でていた。
独りで寝る事を嫌がる少女。暗闇を怖がる少女。その不安が解消されるなら、部屋で寝せるくらいなんてことはないと、思ってしまったのだ。
考えても考えても、理由は判らない。だから、次の言葉を発したのは負け惜しみのようなものだった。
「俺はお前の母親を殺そうとした。ひいてはお前も殺そうとしたってことだ」
「結果的に殺さなかったのだから問題はなかろう」
「俺は神殺しだぞ」
「千年も独りで償っておるではないか」
「お前に何が分かるんだよ」
「あ、そういえば母親から伝言を預かっておるぞ」
「…なに?」
「いつか謀反人に会ったら伝えてくれと言われていたのじゃ。まさかシロがそうだとは思わなんだが」
その時、どんどんと玄関を叩かれる音がした。
「御免! ご在宅か!」
「む、話はここまでじゃな」
「待て、伝言ってなんだ」
「そなたへ伝えてほしいと頼まれた言葉じゃ」
「誰が言葉の意味を聞いてんだ!」
ぎゅむむ、と少女の両頬をつまむ。
「いひゃいでふぁないふぁ!」
「何言ってるかわかんねぇよ」
「そなたのせいじゃ!」
「御免! 入らせてもらう!」
どたどたと大きな足音がして、時間を置かずに男たちが入ってきた。神官の衣装に身を包んだ彼らは、総勢四人。だが家の中に入ってきたのが四人だというだけで、外にはもっといるはずだ。
シロとミーコの姿を認めて、男の一人が叫んだ。
「巫女さま! そこの男、巫女さまから離れろ!」
「断る。こいつはミーコだ」
「そう、わらわはミーコじゃ」
「猫か! っていや、巫女さまでしょう!」
「ミーコだ」
「ミーコじゃ」
「だからそれ巫女さまでしょう!」
「そもそも、ヒトんちに許可なく入ってくるなよ。それが神官のやることか。あ?」
「だから、御免と申したであろう」
「それを言えば住居侵入が許されるってことか? そういうことだな?」
「いや、それは」
「それとも神官だから許されるってか? そんな不平等なことがあっていいのか?」
「不平等など…!」
「ということで、帰れ。こいつは俺の親戚のガキだ。巫女さまじゃねぇよ」
すすす、とミーコはシロの後ろに隠れ、首だけ出して男たちを見上げている。
「うむ、わらわは巫女ではないぞ。帰るが良い」
四人のうち、一番年かさの男が歩み出た。すっと、その場に片膝をつく。
「巫女さまの寝台に手紙を置いたのは私でございます。奥野さまの命でございました」
「なに、時政が?」
「あ、コラ!」
「やはり巫女さまではございませんか」
「は、しまった」
シロは思わずぺしんとミーコの頭をはたいた。
「なに口滑らせてんだよ。馬鹿か、お前は」
「不慮の事故じゃ。正直者なのじゃ」
「貴様、巫女さまを叩くとは何事だ! その方をどなたと心得る!」
「あ? だからミーコだって言ってんだろ」
「この星で一番尊いお方である! 一般庶民が気安く触れていい方ではない!」
「残念だが俺は一般庶民でも善良な村人でもねぇんでな」
「なんだと? では貴様は何者だ!」
「シロだ」
「シロじゃ」
「犬か!」
「いや? ちょっとした謀反人だよ」
「なんだと…?」
口角を上げたシロに、神官たちは怪訝な顔をする。
「貴様、いい加減に…」
「待て!」
剣を抜こうとした神官たちを制したのは、膝をついたままだった男だ。男は立ち上がり、まっすぐにシロを見つめた。
謀反人の資料は、何年も前に源左衛門が燃やしている。そもそも閲覧できる立場の者は少なかった。従って、シロの顔を知っている者も少ないはずだ。
…別に、ばれてもいいが。
それでもいささか緊張感を漂わせつつ、シロは視線を受け止めていた。
「まずは、我々の話を聞いてくださらぬか」
「話?」
「巫女さま。どうか、お耳をお貸しください。ご自身の身の振り方は、それからご検討下さい。なにとぞ」
頭を下げられて、ミーコは戸惑ったようだ。きゅっとシロの着流しの裾を掴んで迷っていたが、やがて了承の意を見せた。