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 握り飯が乗ったままだった食卓を片付けて、シロとミーコが並んで座る。その向かいに男が二人座り、他の二人は引き戸近くに姿勢を正して立っている。自分の家だというのに居心地の悪さを感じながら、口火を切ったのはシロだった。
「で、話ってのは」
「昨日、巫女さまの処遇が、神関で決定いたしました」
 座る前、瀧本と名乗った男はそう切り出した。
「ほう。どうなった?」
 ミーコの問いに、一呼吸おいて、瀧本は答える。
「巫女さまには、新しい神としてこの星をお治めいただきたく、その為に我ら神官は喜んで研鑽をつむ、ということになりましてございます」
 その言葉に合わせ、他の男たちもうなずいた。
「つきましては、巫女さまには一刻も早く神界にお戻りいただき、政務に当たっていただきたいと存じます」
「よくそのように決まったのぅ。もっと時間がかかるか、よくても追放かと思っておったが」
「そもそも、このように決定することは先の女神さまがご存命の時から決まっておりました。女神さまのご意向でしたから。それを、ごく少数の者が邪魔をしたのでございます。神関の、少々位が上の者たちでした故、時間が掛かってしまいました」
「上の者…?」
「いずれは判ることですからお話しいたしますが、神関の責任者と、先代巫女でございます」
「……牧野と、先代が…?」
 シロは表情を変えなかったが、ミーコは驚いた顔を見せていた。先代巫女に恨んではいないと言われていたからだろう。
「それで、その邪魔をした者たちはどうやって説得したのじゃ」
「謀反を起こそうとしていた証拠を突き止め、牢に入れてございます」
「なに、牢に!?」
「は。本来なら神のご意向なしに牢を使うことは禁止されておりますが、何しろことがことでございますので、今回限りは大目に見ていただきたく…」
「ならぬ!」
 声を上げたミーコに、瀧本は頭を下げた。
「申し訳もございません。しかし」
「あんなところにヒトを閉じ込めるとは何事じゃ!」
 ミーコは立ち上がった。
「あそこにいるのは寂しいのじゃぞ!」
「そんな理由かよ」
 思わずつぶやいたシロに、ミーコは勢い込んで叫ぶ。
「だってあそこは寂しいのじゃ! 暗いし狭いし、誰も来てはくれぬし、時間の流れが妙にゆっくりであるし…」
「ちょっと待て」
 そこまで聞いて、シロは眉をひそめた。
「まさか、お前が閉じ込められてた寝所ってのは…」
「牢じゃ。神関で外から鍵を掛けられるのは、牢しかないからな」
 シロは、一瞬言葉を失った。
 牢屋に入れたのか。神の子であり、巫女であり、なんの罪もない、こんな小さな少女を。
 それでようやく納得した。この少女が独りで暗闇を怖がっていた理由。牢屋を思い出すからだ。
 膝を抱えて、自分を抱きしめて、ぎゅっと目を瞑って耐えるしかなかったのだろう。
 たった独りで。
「……腐ってやがる…」
 吐き捨てずにはいられなかった。
「よくそんな真似が出来たな」
 軽蔑の眼差しを向けると、瀧本は下げていた頭をさらに下げた。
「言い訳にもならぬが、我々は知らなかったのだ。巫女さまを牢に入れたのは、神関の責任者である牧野という男で、まさか神に一番近い男がそのような暴挙に出るなど思いもしなかった。奴に巫女さまは母上を亡くした衝撃で床に臥せておられ、部屋から出てこないと言われれば信じるしか…!」
 瀧本の声は震えている。
「事実を知ったときには背筋が凍る思いでございました。しかし、謀反の証拠を突き止めるまでは糾弾することも出来ず」
「本当に言い訳にもならねぇな」
「逃がすことしか出来なかったのだ。せめて牢から出ていただき、機が熟したらすぐにお迎えにあがるつもりであった。下界に匿う場所も作ってあったのだ。同封した地図の方に書いてあったのだが、巫女さまはご覧になられなかったようで…」
「あ、確かにわらわは地図は見なかったな」
「ってことはこんな面倒なことになったのはお前のせいかよ」
「しかしまぁ、結果は良しとしよう。シロに拾ってもらえたからな」
「良しと出来るのはお前だけだ」
 呆れるシロの向かいで、顔をあげた神官は眉間に皺を寄せた。
「シロ殿。巫女さまを保護してくださったことには感謝申し上げるが、巫女さまに向かってお前お前と言うのは謹んでいただきたい」
「発言の自由も認められないのか、この星は」
「その方がどれほど尊い御方か、ご理解はいただけないのか」
「わらわは構わんぞ」
「本人がこう言ってんだから問題ないだろ」
 ぺしぺしと、シロはミーコの頭の上を叩いた。
「……とにかく、巫女さま。どうか神界にお戻りいただきたい。御身の安全は我らが命を懸けて保証いたします故。もし、我らが裏切るようなことがあれば」
 一度言葉を切って、瀧本は懐から巾着を取り出した。
「この中にある我らの命宝《めいほう》を、砕いていただいて構いませぬ」
「瀧本…」
 命宝とはその名の通り、人間が神界に召し上げられる際、神を決して裏切らないという誓いの証に差し出す自分の命の一部である。
 神の力により心臓を結晶化し、宝玉と変える。神にしか扱えない術なので、もちろん命宝を肉体に帰せるのも神しかいない。神官は、文字通り神に命を預けるのだ。ひとたび命宝を取り出せば、その時点から肉体の老化は神と同調し、神が生きている限りは肉体的には歳は取らない。
「どうやって持ち出したのじゃ。そなたらには鍵は開けられぬじゃろう」
「先代女神さまより、返していただいておりました。術は巫女さまに引き継ぐ故、肉体が急に老化することもないと」
「なに、母が?」
「神官の全員に返してくださいました。だからこそ、牧野と先代巫女は謀反など企てたのでございます。どうか、これを持ちまして、我らの覚悟を信じていただきたく、お願い申し上げます。もし、巫女さまにご帰還いただけないのであれば、我らにはもう行く道などございませぬ。その時は、自らこの命宝を砕く所存でございます」
「瀧本…!」
 瀧本はもう一度深々と頭を下げた。それに倣うように、他の男たちも膝をついて頭を下げた。
 その光景が、シロにとって嫌な思い出を蘇らせた。

―――頼む。

 千年前。そう言って、頭を下げた神々。
 待ってくれと懇願するシロの隣で、婚約者しっかりうなずいてみせたのだ。
 そして、今。千年前の光景を思い浮かべるシロの隣で、ミーコはやはりうなずいた。
「うむ。では、帰ろうぞ」
「ミーコ」
 思わず、立ち上がったミーコの腕を掴んでいた。
「ちょっと待て。こいつらの話を鵜呑みにする気か」
「嘘などつかれておらぬ。それに、牢に入れられている者たちを早く出してやらねば。あそこは寒いからな。風邪でもひいたら大変じゃ」
「お前を殺そうとしてた奴らだろうが」
「殺されてはおらんので問題なかろう。第一、話を聞いてみらんと判断は出来ぬ」
 どこまでもお人よしな発言に、シロは苛ついた。
「いい加減にしろよ。これでお前が帰って暗殺でもされてみろ。俺の目覚めが悪いだろうが」
 その言葉に、ミーコはふふふと笑う。
「そうやって、自分の為のようなふりをして、シロはずっとわらわを助けてくれたな」
「あ?」
「母親からの伝言じゃ。―――あのような優しい者に、ずいぶんと、残酷なことをしてしまった」
「なん…」
「謝っても謝りきれぬ」
 その言い方が、女神に重なる。面影が、蘇る。
「これからは自由に、幸せに生きてほしい」
 そうして、ミーコは一歩シロに近づいた。シロの両肩に手を置き、そっと額に口づける。二人の間に光が産まれた。
「これは、そなたに返す」
 光が収束し、現れたのは紫色に輝く丸い石だった。シロの命宝である。そして、もう一つ。ミーコが空中で拳を作り、それをゆっくりと解く。すると、何も無かった空間に藍色に輝く石が出現した。
「母親から預かっておったのじゃ。これで、そなたは自由の身」
「おい、待て」
「最初に会った時から、シロはなんの躊躇いもなくわらわに手を差し出してくれたな。何度も、何度も。うれしかったぞ」
「なに言ってんだ」
「本当に、うれしかったのじゃ。二度と会うことが叶わずとも、そなたの優しさは忘れぬ。クロの弁当の味も忘れぬ。………ありがとう」
 ふふふと、ミーコは笑う。ただ本当に、うれしそうに。
「ミーコ」
「ああ、それと」
 一呼吸おいてから、ミーコは言った。
「シロは怖くなどないぞ」
「あ?」
「むしろ逆じゃ。シロがそばにいるととても安心する。ぐっすり眠れたのは久々であった。あたたかくて、ずっとそばにいたいと思うほどじゃ」
 うれしそうに笑っている。それなのに、泣きそうに見えるのは何故だ。
「じゃが、わらわがそばにいては、シロも複雑であろう?」
「………」
「千年間、たった独りでよく償ってくれた。もう、苦しむことはない。クロと幸せに暮らせ。人々が住みよいように、わらわも政務に励むとする」
 そう言って、ミーコはシロの隣をすり抜けて、瀧本の肩に手を置いた。
「参ろう。わらわにはもう行くところも帰るところもないと思っておったが、迎えに来てくれてうれしい。ありがとう」
「巫女さま…」
「一か月ほどとはいえ神が不在であったのじゃ。政務が滞っておろう。急がねば」
「は。そのように」
「ではな、シロ。クロに挨拶が出来ず残念じゃが、そなたらのことは忘れぬ。息災であれと伝えてくれ」
 にっこりと笑ってから、ミーコはシロに背を向けた。その背中を、シロは見ていた。
 なんだ、その悟りきったような笑顔は。子どもがする顔か。
 帰りたくないなら帰りたくないと、そう言えばいいのに。
 ミーコも解っているはずだ。神官たちが命宝まで持ち出して巫女の帰還を願ったのは、謀反を企てていたという官吏たちに対抗するためだ。ミーコは御旗にされるだけだ。巫女の為でもこの星の人々の為でもなく、神官たちが自分たちの身分を保証する為に使われるに過ぎない。
 命宝を持ち出せば、お人好しのミーコが断れないと解っていて。
 解っているのに。
「お前がそばにいたら、俺が複雑だと…?」
 シロの言葉に、ミーコは振り向いた。笑っていない。
「複雑に決まってんだろうが。毎日殺し損ねた女神の面影がちらつくんだからな」
「であるならば、やはり」
「ああ、帰れ。二度とこのうちには来るな」
「……うむ。そうしよう。わらわのことは、忘れてくれ」
 少女は、傷ついた顔はしなかった。ただ、もう一度にっこりと笑ってから家を出て行った。
 一度も振り返らずに。

 残されたシロは、二つの玉を見つめていた。光り輝く、宝石のような玉を。
 千年前、女神は言った。
「お前に、女を返してやろう」
 同胞たちにより手厚く葬られた婚約者。肉体は生きていた時同様に綺麗なまま、硬質硝子でできた棺に横たえられている。
 長老は、処刑したのだ。婚約者の命宝を粉々に砕くことで。
 もう、彼女は動かない。あの柔らかく暖かな声で、シロの名前を呼ぶこともない。
「返して欲しいのだろう? 叶えてやろう。ただし、お前の望む通りにはならぬ」
「……返す? どうやって」
 返り血で全身を赤く染めたシロは、いっそ穏やかな表情すら浮かべている。
「お前の命を分け与えればよい」
 そう言って神が自身の胸の前でゆっくりと拳を握ると、シロの身体が光った。
「っ!?」
 胸のあたりから紫色に輝く石が出てきて、宙に浮く。シロの命宝はすでに神に預けてあるから、これは残りの命だ。
 女神が命宝を指さし、ゆっくりと婚約者のほうへ向ける。ふよふよと漂っていた命宝は、音も立てずにすっと婚約者の身体に入っていった。
 やがて、婚約者の身体が光り出す。
「これで、目を覚ます」
 信じられないものを見る目で、シロは婚約者を見ていた。
 動く。もう一度、彼女が。
「この術は禁忌」
 静かに、しかしはっきりと女神は言った。
「本来一人に一つだけの命を分けるなど、あってはならぬ。この術が使えるのも、神の生涯で一度だけじゃ。本来は、分裂して子を成す時に使う。これで、わらわはもう一人では子は成せぬ」
「………何が言いたい」
「この女はお前に返してやろう。ただし、対価として女の記憶はわらわがもらう」
 女神は笑った。凄絶に。
「この星のものはすべてが平等。お前はこの女を奪われた。だからわらわから仲間を奪った。しかし女は返してやる。ならば、お前も何かを差し出すべきじゃ」
 詭弁ともいえる女神の言葉を、シロは黙って聞いていた。ただ、横たわる婚約者の、光る身体を見ていた。
「じゃが、まったくの記憶なしというのも興が覚めてしまう。……そう、例えば」
 婚約者を包む光が収束していく。
「自分を、そなたの妹だと思い込む、というのはどうじゃ?」
 ぱちん、と女神は指を鳴らした。すると、婚約者の額から命宝よりももっと小さい藍色の玉が出てきた。
「これは女の記憶。わらわが預かっておこう。女はそなたを兄だと思い、そなたは男女の愛ではなく兄妹の愛を受ける。この先ずぅっと、兄妹として生きていくがよい。もう二度と、そなたは思いを遂げることは叶わぬ」
 くつくつと、女神は笑った。
「それでも手を出すか? 兄と信じている者からそのような仕打ちを受けた女が、生きていけるとは思わんが」
 ああそれと、と女神は続ける。
「そなたがこの女から三日以上離れれば、術の効果は無くなり、女に入れた命宝は砕けるだろう。それでも、もう一つの命宝がわらわの手にある限り、そなたは死ぬことも出来ぬ。再び肉塊となった婚約者を抱いて、独りで生きるがいい」
「貴様…」
 射殺せるような殺気を込めたシロの視線を受けても、女神は動じなかった。
「あろうことかそなたは神々に剣を向け、同胞までもその手に掛けた。これだけのことをしでかしたのじゃ。よもやただで済むとは思っておらぬだろう?」
 シロは、下げていた剣先を再び女神の喉に突きつけた。殺気を辺りにまき散らしている。
「言っておくが、わらわが死ねばこの術は解ける。その時はそなたの命宝はそなたの元へ帰るであろうが、女は助からぬ」
 シロは歯噛みした。
 斬ることが、出来なかった。
 何故ならそこに、婚約者が上半身を起こしていたからだ。
「記憶が無いのもこの女にとっては良いことなのかもしれぬ。せっかく自らの命を賭して長老を鎮めたのに、婚約者であるそなたが台無しにしたのじゃ。一番女の意を汲むべきそなたが」
 婚約者は、焦点の合わない眼でしばらく辺りを見回していた。
 生きていたときとなんら変わらぬ姿。瞳。髪の色。しばらくぼうっとしていたが、やがてゆっくりとシロに視線を合わせてきた。
 視線が絡み合った瞬間、剣を持つ手から力が抜けた。
「……クロ…」
 愛しい名前をつぶやいた時には、剣は床に落ちていた。

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