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 翌日。
 朝餉を食べようと一階に下りると、女二人はもう席についていた。四人掛けのテーブルに向かい合っている。
「おはよ」
「おはようございます」
「………おう」
 そういえばこのミドリという女は、昨夜はどこで寝たのだろう。クロの部屋も一人部屋で、しかも安宿だから寝台は狭い。それに昨日の昼間、シロとクロが一部屋ずつとった時点で満室になったと店の女主人が言っていた。うれしそうにしていたので覚えている。
 まあ、どうでもいいが。
 水を運んできた店員に茶漬けを頼んで、シロはミドリを避けるようにクロの隣に座った。
「食べたらすぐ出発ね」
「わかってるよ」
 意識して冷たく返答したのに、クロはふふふと笑った。
「…なんだよ」
「ありがとね。付き合ってくれて」
「お前に礼を言われることじゃない」
 いえ、とミドリも穏やかな視線をシロに向けた。
「本当にありがとうございます。無事に助け出せたら、お金はきちんとお支払いしますので」
「当たり前だ。それに、あんたも礼を言うのが早い」
「いいえ。まずは依頼を受けていただかないと始まりませんから」
 茶漬けが運ばれてきたので、シロはそれ以上なにも言わなかった。

 食事が終わると、たいして多くもない荷物をまとめて外に出た。清々しいほどの青空には、雲一つない。依頼を受けて移動しなければならない今、この天気は都合がいい。いいのだが、しかし、豪雨にでもなってくれれば動かない理由になるのにと思わないでもない。
 ため息をついていると女二人が宿から出てきた。それぞれ、昨日とは服装が違う。違わないのはシロだけだ。
 シロの旅装は、乳白色の貫頭衣の上に濃い藍色の着流しを羽織り、下は黒い細袴というさして珍しくもない格好だ。ただ、貫頭衣は被るだけだと裾がひらひらして邪魔になるため、太めの胴締めで腰や腕を締めている。この胴締めは優れもので、出血を伴うけがをしたときは包帯としても役に立つ。足元は草鞋。これはクロのお手製で、歩きやすくて気に入っている。腰には藍色を基調にした短剣。以前は長剣を帯びていたこともあるが、別にシロは剣士ではない。成人男性の平均よりも背の高いシロが長剣を携えて歩いていると無駄に群衆に退かれるので、クロの勧めもあってなるべく目立たない短剣に変えたのだ。
 そのクロは、珊瑚色の小袖を身にまとっている。帯は菜の花の色で、縮緬に似た質感をしている。布地の名前を聞いたような気もするが、シロは覚えていない。草鞋はシロと同じくクロが自分で作ったものだ。クロも短剣を帯の下に隠している。仕事の都合で別行動をすることもあるので、少し前に護身用としてシロが持たせた。クロの剣の筋は良く、素人相手なら、例えば先日の夜盗二十人程度なら、クロは一人で壊滅させられるほどに腕を上げた。動きやすいように、黒くて長い髪は頭の高い位置で一つにまとめている。
 そしてミドリは、どこか大陸物の着物を身に着けていた。首元まである襟と、ゆったりとした袖。裾はひざ元まである。色は落ち着いた臙脂色で、大小いくつもの円の模様があり、さりげなく金糸が施されている。下半身には白い袴。シロが付けているものよりもだいぶ細い作りだ。足元は黒い靴。革のようにも見えるし布のようにも見える。全体的にすらりとしているミドリに、そのいでたちはよく似合っていた。髪は、昨日と変わらず耳の横で結んでいる。
「お待たせ」
「ああ」
「じゃあミドリ、道案内をよろしく」
「ええ。北に向かいましょう」
 ミドリが答えて、三人は歩き出した。クロとミドリが並んで歩き、その数歩後ろをシロが歩く。たった一晩で仲良くなったらしく、女二人は楽しそうに会話をしている。
「お二人は、ずっと旅をしているんですか?」
「うん。気に入った土地にしばらく住んでいたこともあるけど、基本的には旅をしていることが多いかな」
「なんでも屋をしながら? 失礼ですけれど、生活は大変じゃないんですか?」
「確かに裕福ではないけど、とりあえず二人分の食料があればいいからね。親切なヒトが寝るところを貸してくれたりもするし、そんなに困窮したことはないよ」
 答えていたクロが、今度は質問する。
「ミドリは? ずっと、その北の村に?」
「いいえ。村…というか、今は住んでいるのは三十人程度ですから、集落と言ったほうがいいかもしれません。私は兄が処刑されてからはあそこを出て、薬師の真似事などして過ごしていました」
「そうなんだ。薬草に詳しいの?」
「多少は。あそこにいた鬼は薬草に詳しかったので、それなりの資料が残っています」
「へぇ。じゃああたしも教えてもらおうかな。少しくらいの薬は持っているんだけど、やっぱり知識も欲しいし。旅を続けるなら必要よね。教えてくれる?」
「もちろんです。では道すがら、使えるものがあったら紹介していきますね」
「よろしく」
「さしあたって、知りたいのはどんな効能のある薬草ですか? 怪我か、病気か…」
「怪我かな。あたしもシロも頑丈だから、あんまり病気はしたことないの。でも依頼の途中で怪我をすることはあるから」
「先日の、夜盗退治のときとか?」
「まあね。あの時はかすり傷程度だったけど」
 あっさりと答えたクロに、ミドリは目を瞬いた。
「かすり傷、ですか…。夜盗が二十人も相手で」
「あはは。でもほら、昨日シロが言ったでしょ。そんなに強い相手じゃなかったからね」
 ややぽかんとしたままで、ミドリはかろうじてそうですかと答える。
「大変心強いです」
「役に立てるようにがんばるよ。でも…」
 そこで、クロは声を少し落とした。
「今回は、その村のヒトを叩きのめせばいいってわけじゃないよね。事情を話して説得して、生贄なんて因習を捨ててもらわないと」
「ええ。でもとりあえずは、子どもたちを外に出さないと。説得は後からでもできますが、処刑されてしまっては元も子もありません」
「外にというと、生贄の子たちは閉じ込められてるの?」
「広義では。村の、一番大きな邸に軟禁されています」
「大きな邸? どうして」
「昨日私は、鬼と生贄と、二人が処刑されると言いましたね」
「うん」
 うなずいたクロに一呼吸おいてから、ミドリは話し始めた。
「あの村では、今でも鬼がいると信じられています。正確には、鬼の子孫がいて、村を見張っていると」
 ミドリの視線ははるか遠くに向けられている。おそらく、村を思い描いているのだろう。
「最初の、生贄を出さなかった時の災いの効果は凄まじく、人々に鬼への恐怖を植え付けるには十分でした。ただ、それだけでは生贄を一人選ぶだけにとどまったでしょう。しかし先の災いは、恐怖だけではなく怒りも植え付けたのです。無理からぬことですが。……そうして人々は、その恐怖と怒りを同時に解消する術を考えました。それが、今でも続く恐ろしい因習です」
「それって、つまり…」
 結論に思い至ったクロが、眉を寄せた。
「怒りをぶつける為の『鬼役』と、その鬼を鎮めるための『生贄』。二人を選出して処刑することにしたのです。具体的にどうやって選出しているのかは分かりません。けれども、選ばれてしまった二人は、今年でわずか十歳です」
「そんな…」
「産まれた瞬間―――つまり、これ以上ないほど無垢である時に役割を決められ、洗脳のようにお前は鬼だと言われ続けます。十年後には処刑すると。それから、鬼役は町のみんなに蔑まれ、ひどい差別を受けて育てられます。衣食住も満足に与えられず、石をぶつけられても抵抗してはいけないのです。外を歩くにも裸足で、じめじめとした裏道しか歩けません。もちろん学校にも通えませんし、ろくに読み書きも出来ません。外にも人間が生きているということすらきっと知りません。だから、村という大きな檻に入れられているようなものです」
 クロは言葉を失っている。もちろんシロも面白くない。眉間に皺が寄っている。
「それでも鬼役の子は、なぜ、という疑問すら思い浮かべません。なぜというなら『鬼役だから』です。実際には鬼ではないのですから、町のヒトはどんなにひどく扱っても報復されないことを解っています。解っているうえで、呪われた怒りを年端もいかない子どもにぶつけているのです。もう一人の子どもが鬼に対する生贄なら、鬼役の子は人間に対する生贄です」
 傷ついたような顔をするクロに、ミドリは悲しそうに笑ってみせた。
「反対に、生贄の子はこれ以上ないほどの贅を尽くした環境で育てられます。これは、生贄に選んでしまった罪悪感からでしょう。生贄に選ばれるということはとても誇らしく、町の誉れなのだと、こちらも洗脳されて育てられます。もちろん教育も十分に受けられます。ただし、反抗されないように生贄という言葉は本人には使わないようですが。鬼に気に入られるよう、いつも清潔にして健康的に育っています。万が一にも逃げられないように、本人には軟禁されていることも気づかれないよう、細心の注意が払われています。一番大きな邸にいると申しましたが、そうすることで出て行く理由が無いと思わせているのです」
「そこまでひどいなんて…」
「ええ、ひどいことです。私の兄もそうやって、散々怒りをぶつけられた上で亡くなりました。兄と私の無念は、今でも消えていません」
「ねぇ、生贄のお墓は勇者として祀られているのよね? じゃあ、鬼役のお墓は…」
「亡骸は、谷に捨てられます」
 クロが息を飲んだ。あまりのことに歩くことも忘れて立ちすくむ。シロは足を止めなかったので、数歩の距離は無くなった。反対に数歩先に進んだミドリは、静かな、しかし強い目をしていた。
「どうしようもないほどに哀しい因習です。憐れ、と言ってもいいでしょう。……そんな因習は、もう終わりにすべきです」
 その声は、その場に凛と響いた。シロが、クロの肩に手を置く。
「クロ」
「シロ…。あたし…」
 声が震えている。シロは肩に置いたままの手に力を込めた。
「お前が今ここで泣いても、なにも変わりゃしねぇよ。今は、歩け」
「……うん…。でも」
 クロは顔を上げた。もう、声は震えていない。
「あたし、許せない」
 決意するように、そう言った。
「そんな因習、許せない。本当は生まれ育った町の中に二人の引き取り手があればって思っていたけど、やっぱりそんな町には置いとけない」
「すべては鬼が悪いのです」
 哀しみを湛えた表情で、ミドリはそう言った。
「そもそも、二百年前の鬼がすべての元凶です。あのとき素直に逃げるか滅ぶかしていたら、こんなことにはなっていなかったと思います」
 そうかもしれない。シロもそう思う。けれども。
「だから、それを今ここで言ってもなんにもならないだろう。原因はもういい。どうやってガキどもを助けるかを考えた方が建設的だ」
 クロの肩から手を離し、そのままぽんと背中を叩いた。
「行くぞ」
 クロは素直にうなずいた。先ほどまでよりも、心なしか強い足取りで。
「あんた、具体案は考えてるのか」
 今度は並んで歩き出したシロの質問に、ミドリははいとうなずいた。
「まずは、町の外に二人を連れ出します。いえ、もちろん同時にではなく一人ずつ。そこで、二人には役割なんて必要ないということを話して聞かせます。匿う場所は確保してあります。そうやって二人を隠しておいて、村の人々に話をします」
「随分と平和的だな。勝算はあるのか?」
「鬼は滅亡したということを信じてもらうには、多少時間がかかっても仕方がありません。根気よく話をします。それに、村人だって鬼はもういないとどこかで思い、そう信じたいというヒトはいるはずです。例えば、生贄二人の家族とか。まずはそこから取り込んでいけたら…」
「ま、そこはあんたが好きにやれ。俺たちは町の連中に見つからないようにガキどもを連れ出せばいいんだな?」
「はい。お願いします。きっと抵抗されるでしょう。私一人では、十歳の子どもを二人も抱えて外に出るのは不可能です」
「手段は」
「子どもたちが怪我をしないのであればお任せします」
「善処する」
「約束してください。傷を付けないと」
「……了解」
「大丈夫よ、ミドリ」
 クロがミドリの肩を叩いた。
「シロがやる気になってるから。絶対に大丈夫。これでも、うちの兄貴はやる時だけはやるんだから。やる時だけは」
「二回言うな」
 ぼそりとした抗議は綺麗に無視された。ミドリとさっさと歩いて行くクロを追いかけてなにか言ってやろうかと思ったが、そういえば反論の余地がないなと思い至って止めた。代わりに息をついて、空を仰ぐ。
 相変わらず、憎らしいほどに晴れていた。

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