軽く昼食をとっただけで後は休みなく歩き、三人が宿場町に着いたのは夜に差し掛かった頃だった。林に囲まれた街道とは違い、かなり賑わっている。目についた定食屋兼宿屋に入り、一息ついた。旅慣れしているシロとクロはともかく、ミドリは疲労の色を見せている。出された食事も半分ほどは残ったままだ。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込むクロに、ミドリは弱々しく笑ってみせる。
「すみません、ご迷惑をおかけして。休めば戻ります」
この時、ミドリの荷物はすでにシロが持っている。別に重くは感じていないが、一日目からこんな調子で大丈夫かとは思っている。
「迷惑じゃないから気にしなくていいけど、早いとこ湯あみして休もうか。それで、明日はもう少しゆっくり進みたいけど…」
「いいえ。時間はありません。私は大丈夫です。明日も急ぎましょう」
依頼人がこう言うのだから、シロとクロには断れるはずもない。ともかく休む場所の確保が先だ。シロは店主に三人分を用意してくれるように頼む。が、返って来た言葉は無慈悲なものだった。
「申し訳ありません、残っているのは一人用が一部屋でして…」
「……じゃあ、どっか近くの宿は」
「明日、この近くで祭りがあるんです。たぶん、その為にどこも満室かと」
シロの決断は早かった。小さく舌打ちして、向かいに座るクロに言う。
「お前ら、二人で一部屋使え。俺はここにいる」
すぐさま反論したのはミドリだ。病的な顔色は隠しようもないが、言葉はしっかりしている。
「そんなこと出来ません。ただでさえご迷惑をおかけしているのに」
「そんな状態で強がられる方が迷惑だ」
「シロ、そんな言い方ないでしょ」
「事実だ。いいから部屋に行け。―――店主、店を閉めてから、ここで横になっても構わないか?」
昨日までの宿とは違い、この定食屋には座敷がある。旅の途中で野宿もする身だ。寒い季節ではないし、雨露が凌げて畳があるだけで、十分ありがたい。
主人は申し訳なさそうに承諾してくれた。のみならず、衾《ふすま》も貸してくれるという。それだけで、シロには寝台で寝るのとそう変わらない。宿泊費も一人分でいいというのだから、むしろ幸運だろう。
宿場町の店主たちが共同で経営しているという大浴場で湯あみをしてから、宿に戻ってきた頃には夜もだいぶ更けていた。浴場に行ったのはシロとクロだけだ。ミドリは、湯船につかるとすぐに茹だってしまう体質だとかで、宿の小さな浴場で湯をかかっただけだった。それでも血行が良くなったためか、顔色は少し前よりも良くなったようだ。
そのミドリは最後まで謝り続けていたが、クロに促されて部屋にあがっていった。階段を上がるのをちらりと見てから、シロはごろんと横になる。店主が貸してくれた衾は風呂上がりには熱いくらいで、ばさりと横に置いた。
意識せずともため息が出る。こんな面倒事に関わる予定ではなかったのに。ではどんな予定があったのかと聞かれると返答に窮するのだが。
酒でも飲みたい気分だったが、あいにく店はもう閉まっている。宿場町なのだから遅くまで開いている店もあるだろうが、探しに行くのも億劫だ。さほど所持金があるわけでもない。店主が気を遣って置いてくれた行燈が、頼りなく座敷を照らしている。舌打ちしつつ寝返りを打つと、階段を下りてくる足音に気が付いた。確かめなくともわかる。
「……寝不足は美容と健康の大敵じゃなかったか」
「一人寝の兄貴を気遣ってきたのになにその言い草」
クロだ。
起き上がることもせず、シロの口調は冷たい。
「なにしに来た。依頼人は?」
「もうぐっすり。さっき聞いたら、あたしたちを探してずっと休んでなかったらしいの。昨日も一緒に寝ようって誘ったのに、外に行っちゃったし」
「外に? 野宿か」
「たぶん。気を遣ってくれたらしくて、はっきりとは言わなかったけど」
「ふうん。で、お前はなにしに来た?」
「ミドリが先に寝ちゃったから、たまには兄貴と二人で寝ようかと思って」
「ふざけんな。部屋に戻れ。湯冷めするだろうが」
「その発言、まるでお母さん」
「黙れ」
「大体、湯冷めならお母さんだって同じでしょ」
「お母さん言うな。俺はそんなにヤワじゃない」
「あたしだってそんなにヤワじゃないもん」
「店主が貸してくれた衾は一枚なんだよ。お前の分は無い」
「くっついて寝ればいいじゃん」
「いい歳してそんなこと出来るか。お前がここで寝るなら俺は野宿する」
「そんなに妹が嫌なの?」
ああ、嫌だね。心底。
そうは言えずに、押し黙った。
ぷぅと頬を膨らませていたクロだが、やがて口を尖らせたまま妥協案を出した。
「じゃあちゃんと部屋に戻るから、少しだけ話そうよ。なんか目が冴えちゃって」
それでもしばらく黙っていたシロだったが、がりがりと頭をかいてから上半身を起こした。
「本当に少しだろうな?」
つまり、話してもいいということだ。クロはにっこり笑ってシロの隣に腰かけた。脇に置いていた衾を少々乱暴にクロに渡して、シロは胡坐をかく。大きく息をついてから、口を開いた。
「…で、本当は、なんの用で来た?」
行燈の灯りが揺らめく中、クロはぱちぱちと瞬きをする。
「やっぱり誤魔化せないかぁ」
「無理だな。お前は正直すぎる」
「えへへ」
「別に褒めていない」
冷たく言い放っても、クロの笑顔は消えなかった。消えたのは、ぽつりと言葉を発した時だ。
「大丈夫かなぁと、思って」
「………なにが」
その意図を解っていて、わざと聞く。クロもわざとだと解っていただろうが、それについて追及は無かった。
「だからさ、婚約者が人質とか、生贄とか、処刑とか、聞かされて」
「今更聞くか、それ。依頼を受けたのはお前だろ」
「そうなんだけど、感情的になりすぎたかなぁと、反省していて」
ふっとシロは笑った。
「それこそ今更だな。……お前が気にすることじゃない」
「でもね、シロ。本当に、本当に嫌でつらいなら、シロはここまででも」
ああ、本当の用事はこれか。
「やれやれ…」
シロは、乱暴にクロの頭を撫でた。
「一度受けた依頼だ。途中で放り出せるか。気にするなって言ってんだろ」
「いいの?」
「同じことを何度も言わせるな」
仏頂面でそう言うと、クロはくすっと笑った。
「うん、ありがとう」
「気が済んだなら寝ろ。明日も早いからな」
「はぁい」
今度は素直にうなずいて、クロは階段を上がっていった。その後ろ姿が完全に見えなくなってから、シロは再びごろんと横になった。今度は衾を首元まで引き上げて。そうして右腕で両目を覆う。
何もかも忘れて眠ってしまいたい。
けれどもシロには、忘れることが許されていない。忘れることはすなわち、死を意味する。
それだけはどうしても避けたかった。どうしても、再び死ぬことだけは。
行燈が、頼りなさげに揺れていた。
まるで、命のように。
寝不足になったのは仕方がないことだろう。洗顔だけはクロたちの部屋で済まし、シロはあくびをかみ殺した。
「やっぱり床では眠れなかったのですか?」
心配そうに聞いてくるミドリは、昨日までよりもだいぶ顔色が良い。シロとは違い、布団でぐっすり眠れたのだろう。それにしても、この女から漂ってくる匂いはどうしても好きにはなれないが。
「いや、気にするな。動くのに支障はない」
「なら、いいのですが…」
店の主人はヒトが好かった。床で寝せてしまったからと、シロだけではなく三人分の朝餉をご馳走してくれたのだ。前述のとおり宿泊代も一人分でいいとのことだったので、かなり助かった。クロが何度も礼を言って、宿を発った。
途中にあった露店で昼食を仕入れ、ひたすら歩く。やはり、会話をするのはもっぱら女二人だ。
昨日の約束通り、ミドリはたまに薬草を見つけては効能や使用方法をクロに伝授していった。二人の会話を聞きながら、ミドリから漂う匂いは薬草の匂いかもしれないと当たりを付けた。シロは薬のことはまったく分からないが、薬師の真似ごとをしているミドリなら、しみついた匂いがあるのかもしれない。
「クロさん、これも薬草です。ガマの穂といって、怪我や火傷に効果があります」
「へぇ。どうやって使うの?」
すぐに使えそうなものはクロが採取していく。乾燥させなければ使えないなど、時間がかかるものは丁寧に書き付けていった。その書付を見て、ミドリが感心する。
「絵がお上手なのですね。私では、こうはいきません」
「えへへ。実はけっこう器用なの。なんでも屋の仕事が無い時は、露店で似顔絵を描くこともあるんだよ」
「素晴らしい生活力です。そういう時、シロさんはなにを?」
「シロには露店でものを売るほどの愛想ないからね。その辺を彷徨ってるよ」
「まあそんな、お兄さんを浮遊霊みたいに」
「油を売ってるって言った方が良かった? でも油すら売らないんだよねー。寝てるか書物を読んでるか…。あ、でもこの前、喧嘩は売ってたね」
「あらまあ。どなたに?」
「関所の役人に」
「それは…。またどうして」
「それがね、職務質問受けたんだって。昼間からぶらぶら彷徨ってる上に怖い顔してるからだよねー」
あははと笑うクロに、ミドリは笑いをこらえているようだった。それまで静観していたシロと、思わず振り向いたミドリの目が合う。
「……笑いたきゃ笑え」
「はい。ふふふ」
「即答かよ」
ぼそりと呟いたシロに向かって、ミドリは笑う。非常に優しい顔で。まるで微笑ましいモノでも見ているかのような。
誰がそんな菩薩みたいな笑顔を見せろと言った。
そうは思ったが、藪蛇になりそうなので黙っておいた。
と、そこでシロが足を止める。
「……笑ってる場合じゃねぇぞ」
「自分が笑い飛ばせって言ったじゃん」
「飛ばせとは言ってない。いや、そうじゃなくて」
言い終わる前に、クロも表情を引き締めた。同時にミドリも。
囲まれている。
三人が今いるのは整備された街道。だが周囲は背の高い木々が生い茂っているので、ヒトの姿は確認できない。しかし、確実に行く手を阻まれている。後ろにも気配を感じるところからして、人数はたぶん十人弱といったところか。
「ったく…。暇人どもが」
心当たりはあった。あり過ぎてどれだかわからないほどに。
ひゅん、と風を切る音がして、シロの後方から矢が飛んできた。避ければ前にいるクロかミドリに当たる。
従って、シロは飛んできた矢を右手で掴んだ。革の手袋をしているので手は無事だ。せいぜい革に傷が入った程度。シロにとってはこのくらいは気合を入れるまでもない。クロも顔色一つ変えないでいる中、ミドリだけが目を見開いていた。
「…飛んできた矢を、手で掴むなんて…」
「え、誰でも学校で習うんじゃないの?」
「そんな学校は聞いたことがありませんが?」
「ええ!? ミドリの村はそんな辺境の地にあるの?」
「そちらこそどんな学校に通われたのですか!?」
本気で驚きあっている二人を、シロは口を挟むのも面倒で黙って見ている。そんな三人に、矢は次々と放たれてくる。シロとクロは立ち位置を変えた。ミドリを二人で庇うように、お互いに背中を向けて。シロは腰から短剣を抜き、飛んでくる矢を叩き落としていく。クロも同じように短剣を鞘から抜いた。ここで、ミドリも動いた。
「ミドリ、動いたら」
「いえ、大丈夫です」
ミドリはにっこりと笑った。その手には、いつの間に取り出したのか鎖鎌が握られている。鎖をひゅんひゅんと振り回しながら、ミドリは飛んできた矢を落とした。
「この通り、私を庇う必要はありません」
クロは目を丸くした。が、ただ見ているわけにもいかない。こうしている間にも矢は飛んでくるのだ。三人は、結局お互いに背を向けて賊に対峙した。しかしこんな状況でも、女二人は会話を止めない。
「それにしても、世の中広いのですね。学校で矢を掴む練習をするなんて…」
「いやいや、その鎖鎌こそどうしたの? 随分手馴れているけど」
「基本の花嫁修業です」
どんな嫁だ。
あんたいったい旦那になんの恨みが。
というか鎖鎌が基本なら応用はなんだ。
と瞬時にシロは思ったが、クロの感想はまた違った。
「え、じゃああたしも習わないとお嫁にいけないのかな…」
だからどんな嫁になるつもりなんだ、お前らは。
言っても通じなさそうな気がしたので、黙ったままシロは引っ掴んだ矢をくるりと反転させて茂みの中に投げつけた。うめき声とともに何かが―――おそらくは人間が倒れる音がした。
「いい加減、飽きたな」
つぶやいて、シロはやっとその場から動いた。飛んでくる矢に負けず劣らずの速さで敵が潜む方向へと走っていく。あまりの速さに、矢を射ったままの体勢だった敵は反応出来なかった。
「がっ!」
抜いたままだった短刀を逆手に持ち直し、柄尻をみぞおちに叩き込む。それで、男は動かなくなった。あまりの呆気なさにシロの方こそ驚いた。弱い。
男を担ぐ趣味は無いので、その場に放置して木々の中を行く。矢が飛んでくる方向から、どこに何人いるかは大体把握できていた。
背の高い木々は身を隠すには持って来いだが、いざ敵に突進されるとどこに動けばいいか判らなくなる。その隙を突いて、シロは次々に敵を寝かせていった。弓矢は無駄とみて剣を構えた者もいたが、シロの敵ではない。振り降ろされてきた剣を避けて身体を反転させ、うなじに手刀を落とす。これで八人。もう一人いるはずだと周囲を見渡すと、クロたちを置いてきた方向から剣の交わる音が聞こえた。
街道に戻ると、クロが大柄な男と対峙していた。男が振りかざした半月型の刀を、短刀で受け止めている。ミドリは少し離れた場所で尻餅をついていた。おそらく、クロが彼女を護る為に突き飛ばしたのだろう。
特に慌てることも無く、シロはミドリに歩み寄った。
「怪我、あるか?」
「いいえ、そんなことよりもクロさんが!」
「放っとけ」
「そんな…」
声を上げたミドリの目の前で、大柄な男が宙を舞った。綺麗な放物線を描いて、やがてぐしゃっと地面に落ちる。
「ふぅ」
自分よりも一回り以上は大きな男を放り投げたクロは、そんな息をついて手をぱんぱんと払った。投げる時に落としたのだろう短刀を拾い上げて鞘に納めた。
「な? ほっといて良かっただろ」
「え、ええ…」
驚きの表情でクロを見つめるミドリ。鎖鎌を使いこなしていた時点でシロも驚きなのだが、花嫁修業らしいのでまあいいということにしよう。それよりも。
「で、誰だ、こいつら」
「さぁ…」
「矢を射る練習でもしてたのかなぁ」
こともなげに歩いてくるクロが言う。
「通りすがりの旅人に向けてですか?」
「花嫁修業かも」
「全員男性ですよ」
「じゃあ花婿修行かも」
「クロさんたら。そんな花婿修行、聞いたことありませんよ」
「それもそうね」
きゃっきゃうふふと笑いあうクロとミドリに、シロは軽い頭痛を覚えた。
鎖鎌は有りで弓矢は無し。その境界線はどこに。
考え続けると頭痛が増していきそうなので思考を止めた。
「ぐ…」
そこで、地面に這いつくばっていた大男がうめき声を上げた。意識が戻ったらしく、シロたちに向けた表情はまさに鬼のようだった。
「あ、起きた?」
「知り合いみたいな言い方するな」
前に出ようとするクロを引きとめて、シロが男に近づいていく。男は、意識は戻っているが起き上がれはしないようだ。少し間を取ってシロは視線を合わせるように屈んだ。
シロが聞きたいことは、さしあたって一つだけだ。
「花婿修行なのか?」
男は、一瞬なにを言われたのか解らないようだった。だが、すぐにシロを睨みあげる。
「…ああ?」
「やっぱり違うよな。良かった。―――おい、違うらしいぞ」
最後はクロに向けて言った。クロは心なしか残念そうな顔をした。
「なんだ、違うんだ」
「どこの世界にそんな花婿修行があるんだよ。これで疑問は無くなったな。じゃ、そういうことで」
屈んでいた身を起こし、シロは男に背を向ける。
「ってちょっと待て!」
大声に振り返ると、男が腕に力を込めてどうにか上半身を起こそうとしていた。うまく力が入らないらしく、起き上がれはしない。
「…手ぇ貸そうか。金貨二十枚で」
「ふざけるな!」
この世界でこの時代、二十枚も金貨があれば三か月は食べるのに困らない。一切手を貸す気のないシロの言葉に、噛み付いたのは男だけではなかった。
「そうだよ、シロ! 怪我人になんてこと言うの!」
クロだ。しかしその叱責に、シロは冷めた視線を向けた。
「怪我させたのはお前だ」
「あ、そうだった! じゃああたしが手を貸すよ。うわ、血が出てる。大丈夫?」
「どの口で言ってんだ!」
「そりゃそうだ」
ぼそりと呟いた言葉は、誰にも聞こえていないようだ。
ため息をついてから、本気で手を貸そうとしているクロを制して、シロは歩き出した。
「おい、待て!」
「こちとら急ぐ旅なんだよ。そんなところで潰れてる奴の相手なんか出来るか」
「だから、潰したのはお前らだろうが!」
「先に潰そうとしたのはそっちだろ。おい、行くぞ」
「金を出す!」
男が上げた声に、シロはぴたりと立ち止まった。ゆっくり振り返る。
「……クロ。普段から手加減はしろと言っているだろう」
「え、けっこう手加減したよ?」
「金払ってまで起き上がろうとしてんだぞ。どの辺を手加減したんだ」
「だってあんなに弱いとは思わなくて…」
「あの、お二人とも…。さすがにかわいそうなので止めてあげてください」
ミドリの言葉にふと男を見れば、なんだか傷ついたような顔をしている。意外と繊細なのかもしれない。クロが慌てたように両手をぱたぱたと振った。
「あ、ごめん。弱いと言っても、あの…。そう、強くはないというくらいで!」
それは傷口を抉っている。
「クロさん、慰めになっていませんよ。せめて体格だけはご立派ですね、とか…」
それはただの嫌味だ。
口には出さず、シロはこの時決心した。ミドリからの依頼を、一刻も早く片付けてしまおうと。
この女二人と付き合っていると、シロが異様に消耗する。面倒くさいからと言って黙っていると、もっと面倒なことになりそうだ。
「ええと、だから…。そう、力は中々強かったし!」
「もう止めてやれ」
クロの腕を引っ張って自分の後ろにやり、シロはもう一度屈んだ。
「で、金を出すってのはどういう意味だ。まさか本当に助け起こしてほしいわけじゃないんだろ」
「当たり前だ」
「這いつくばってるくせに威張るな。どういう意味か、さっさと言え」
「…先月、盗賊団を潰したのはあんたらだろう」
「先月…?」
シロは首を傾けた。記憶を揺り起こすのに少し時間がかかったが、やがて思い出した。
「あれか。この前の、依頼人を襲ってきた…」
「それは二週間前だよ。まだ先月じゃないでしょ」
後ろからクロが言う。隣でミドリもうなずいている。
「じゃああっちか、野宿してたら襲ってきた…」
「それは先々月。先月って言ったらあれだよ、村の子どもをさらって売ろうとしてた一団」
「いや、あれは盗賊じゃなくて人身売買の一味だろ。あ、あれじゃないのか、露店のばあさんから場所代を巻き上げようとしてた…」
「それ村の権力者のドラ息子でしょ。あっちだよ、息子の名を騙ってお金を用意させてた…」
「違う! あんたらどんだけ賊を潰してんだ!」
「身に降る火の粉を払っているだけだ。もう思い出すのも面倒になってきた。どの件だ?」
面倒くさがらずに、とたった今思ったところなのに、シロはあっさりとそう聞く。
「だから、先月の件だよ! 福崎村の話だ!」
「それを先に言えよ。えーと…」
「あ、思い出した。福崎の村と言えば、やけに親切なおじさんがいたところでしょ」
「ああ、あれか…」
シロはやっと思い出した。同時に渋い顔になった。
クロはあの親父のことを親切な、などと言っているが、あれは親切とは違う。ただの下心だ。亡くなった妻によく似ているとか言いながらクロに馴れ馴れしくしていた。が、あとで他の村人に聞いたら彼に結婚していたという過去は無かった。
「それがどうかしたか」
いっそう冷たい声になったシロに男は一瞬怯んだが、それでも要望ははっきりと伝えてきた。
「あの一件、片付けたのはおれたちということにする。口止め料として金を払う。どうだ?」
思いがけない言葉に、シロは目を丸くする。
「どうだ、と言われてもな…」
「どういうこと?」
「あの、私は部外者であることは重々承知していますが…」
申し訳なさそうな口調と表情で、ミドリが割って入ってくる。シロの隣に屈み、男を見つめた。
「あなた、もう少し順序立てて話した方がよろしいのではないかと思います。これ以上頭の悪さを露呈させても、お互いの為になりませんし…」
ミドリの言葉に男の顔が引きつる。シロも頭を抱えたくなった。
「おい、これ以上傷口抉られたくなかったらさっさと事情を話せ。順序立てて、簡潔に、かつ質問がいらないほど明確に。その悪い頭を今この場で一生分働かせろ」
めちゃくちゃな言い分だったが、男はうなずいた。
「おれたちは…。普段は福崎の村の近くを縄張りとしている。あんたらが潰した賊とは縄張り争いをしていた」
「で?」
「あんたら、賊を全員生け捕りにして関所に放り投げただろう。その時、賊の一人が持っていた指輪はどうした?」
「指輪? 別にどうもしてねぇよ。ねぐらを襲ってきたのは向こうであって、俺たちは奴らの根城も知らねぇし」
「とぼけるな。根城なんか行かなくていい。首領がいつもしていた指輪だからな。薄墨色に光る宝石が付いた指輪だ。あれをよこしてくれたら金貨三十枚払う。いや、倍額払ってもいい」
「薄墨色に…? おい、覚えてるか?」
クロに問いかけてみるが、やはりクロも知らない。首を傾げただけだった。
「いつも付けてたんなら、今も付けてんじゃねぇのか」
「だったらこんなとこまであんたらを追いかけてきたりしねぇ。関所に掴まった時点で奴はあれを持っていなかった。それは確かだ」
「そう言われても、知らんものは知らん」
「頼むから返してくれ!」
「いや、だから…」
男は両腕に力を込めて必死の形相で上半身を起こした。そのままシロに詰め寄る。
「金が足りないのか? ならあんたの言い値を…ぐっ!」
詰め寄ってきた男の額に、シロは反射的に手刀を下ろした。
「シロ、何やってるの!」
「そうですよ、怪我人なのに…」
「俺は男に近づかれてもうれしくない」
言い合う三人をよそに、男はうなだれる。
「…返してくれ…」
その様子に、クロが気の毒そうな視線を向けた。
「ねぇ、悪いけど、あたしたちは本当に知らないの。ほかに心当たりは無いの? 良かったら事情を」
「おい、クロ」
「だってなんだかかわいそうで」
「俺たちは今、別の依頼を受けているだろうが」
「分かってるけど…」
「あれは、俺の命宝《めいほう》なんだ」
ぽつりとつぶやかれた男の言葉に、シロが目を見開いた。
「………なんだと?」
「命宝って…。神が使えるというあの術? 命を宝石に変えて体外に出すっていう…」
「その術だ。…俺は大昔、神関から逃亡したんだ」
「どういうことですか? あなた、関所の役人だったのですか? なぜ逃亡など。…そんなつもりは…」
「神関で盗みを働いた。処罰をされて、閉じ込められて十数年を過ごした」
「盗みで、十数年も? そんな大切なものを盗んだの?」
クロの問いに男はしばらく黙っていたが、やがて無駄だと悟ったのか、ごく小さな声で答えた。
「上司の命宝だ」
「それは殺人でしょう!」
「違う! ちょっと脅してやるつもりだったんだ。壊すつもりなんてなかった!」
思わず叫んだミドリに、男も叫び返す。
「散々いびったおれに命を握られたらどんな顔をするか…。ちょっとした復讐のつもりだったんだよ!」
「ってことは、結果的には壊したの?」
「壊れたんだ、あれはおれのせいじゃない!」
必死の形相で男は叫ぶ。ひどく冷めた視線を、シロは男に向けた。口を開く気にはなれなかった。
「でも、この世界には死罪はありません。捕まっていても殺されることはなかったでしょう。わざわざ危険を冒して逃げ出さずとも…」
「あんなところに十年も閉じ込められたら、死んでるのと変わらねぇよ」
「それだけの罪を犯したのでしょう?」
「だから、殺すつもりはなかったんだよ!」
その真偽を確かめることは時間の無駄だろう。シロは立ち上がった。
「どっちにしても、俺たちはお前の命宝なんか見たことも無い。当てが外れて残念だったな。―――行くぞ、お前ら」
クロとミドリの腕を引っ張って立たせてから、シロはさっさと歩き出した。
「シロ、放っておくの?」
「当たり前だ。あんなの相手に出来るか」
「でも」
「かわいそうだとか思うなら、今から俺があいつを殺す」
迷いなく、シロはそう言い切った。クロとミドリが止まる。シロも立ち止まって、二人を振り返った。その目つきはいつも以上に厳しい。
「いくら命宝が外にあるって言っても、入れる器が無くなれば勝手に砕けるからな。まぁ確かにちょっとやそっとの怪我じゃ死なないが。物理的に首と胴体切り離せば死ぬだろ」
「シロ…」
「お前がお人好しなのは今に始まったことじゃないが、優先順位は考えろ。上司殺しの逃亡人よりも無実のガキどもだろ」
クロはしばらく黙ってシロを見上げていたが、やがてぽつりと言った。
「……あたしは、ヒトの命に順番はつけないよ」
それを、お前が言うのか。
そうは思ったが口には出せないので、シロは別のことを言った。
「ならどうする。お前が残って探すのか。ガキどもの命の刻限はこうしてる間にも迫ってるんだよ」
「それは…」
しばしの間、沈黙がその場を支配した。ミドリも口を挟まない。
やがて、クロはいまだ動けないでいる男のもとに戻っていった。
「クロさん」
「放っとけ」
「けれど!」
「すぐ来る」
「え」
戻っていったクロは、シロの言葉の通り、男と少し話してから帰って来た。
「ごめん、お待たせ」
「クロさん。なにを話してきたのですか?」
「この辺で待っててって」
「え…」
「ミドリからの依頼を片付けたら、戻ってきて一緒に探すって言ったの」
笑顔を見せるクロにミドリは驚いた顔をしたが、すぐにふっと笑った。
「筋金入りの、お人好しなんですね」
「えへへ。よく言われる。シロにはよく怒られるんだけどねー。もうこれ、性分だから。馬鹿みたいでも変えられないの」
「いいえ。美点だと思います。シロさんも、怒っているのではなく心配しているのでしょう?」
シロは答えない。
「いいお兄さんですね」
「でしょ?」
嬉しそうに、クロは笑う。
「面倒くさがりに見えて、シロもそれなりにお人好しなのよ。お母さん気質だし。本人は認めないけどね」
声を落としたつもりだろうが、しっかり聞こえている。しかし、否定するのも面倒なのでシロはやはり黙っていた。行くぞ、という意思表示のために歩き出す。女二人が笑っているのが気配でわかった。
居心地が悪かった。