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 村は、不自然なほどに静かだった。昨日は外で農作業をしている村人もいたのに、それより早い時間の今は、人っ子一人見当たらない。手近な家を数軒覗き込んでみたが、人影はなかった。揃って引っ越しをしたわけでもないだろう。ということは、どこか一か所に集まっているのかもしれない。少し考えて、シロは学校へと足を向けた。村の住民は三十数人。村としては極少人数とはいえ、一か所に集まれる場所となれば限られてくる。
 建物の陰に隠れながら慎重に学校に近づくと、やはり複数の人間の気配がした。村人全員で会議中、といったところか。
 森に面した裏口から石塀を乗り越えて中に入り、そっと気配がするほうへ近づいていく。学校は平屋建てだ。雨どいを伝って屋根に上がると、等間隔に天窓が設えてあった。さほど技術が発達しているとは思えないこの村には、安定して供給できる灯りがない。もっと大きな町に行けばガス灯くらいはあるかもしれないが、ガス灯は維持費が高くまださほど普及はしていない。なので、天窓がある建物は多いのだ。これはシロにとって都合がよかった。
 天窓に影を落とさないように注意しながら移動していくと、いくらも行かないうちに声が聞こえてきた。集会は、角部屋で開かれている。耳を澄ませるまでもなく、聞こえてくるのは大きな声だった。
「だから、すぐに身代わりを探すべきだ! 探し出すんだ、どんな手を使ってでも!」
「しかしまた攫われたらどうする!」
「相手は三人だぞ? しかもそのうち二人は女だった。おれたち全員が武器を持てばきっと大丈夫だ」
 この発言を、シロは鼻で笑った。ずいぶんと舐めてくれたものだ。ミドリの実力ははっきりとは知らないが、たかだか三十人ではクロに傷一つ付けられない。
「なあ、まずは相手を油断させるためにも要求の金貨をなんとかかき集めてみれば…」
「かき集めたってそんな大金は無理だ。大体、そんな悠長はことはしてられん。もう儀式の準備をしなけりゃ間に合わんのに」
「そうだ、賊の要求などどうでもいいだろう」
 ひときわ厳格な声がした。シロの眉がぴくりと動く。どうでもいいと言った理由が容易に想像できたからだ。
「あんなもの、鬼にできないならなんの価値もない。したがって、要求を呑むという選択肢がない」
 そりゃそうだろうな。
 あまりにも想像通りの言葉に、シロは舌打ちしたい気分だった。物音を立てるわけにはいかないので、止めておいたが。
 しかし。
「……あんなもの呼ばわりかよ…」
 口の中でつぶやくことは、止められなかった。
 シロのまとう空気が再び不穏なものになっていくが、そんなことは知る由もない村人たちの会議は続く。
「とにかく、生贄だ。差し出さないとまた災厄が来る。今度こそ、村が滅ぼされるかもしれん」
「しかしどうやって探す? 村の子どもはこれ以上減らせんぞ」
「そうよ、儀式の年に当たらないから産んだ子どもを、差し出せるものですか!」
 主婦らしき誰かが言って、賛同の声が多く上がる。あまりの身勝手さに吐き気がした。
「なら、近くの町から孤児を連れてこよう。確か南の町に孤児院がある」
「駄目だ。鬼はこの村から生贄を差し出すことを望んでいるはずだ」
 ならもうあんたが生贄になれよ。
 シロはそう思ったが、もちろん口に出すことはしない。頃合いを見て集会の中に押し入ろうと、機会をうかがうことにした。その間に、昨日と同じように顔を手拭いで覆う。少々息苦しいが仕方がない。
「そもそも、鬼たちを攫って行ったのは本当に賊なのか?」
 誰かの言葉に、その場がどよめいた。
「どういう意味だ?」
「どっちの子かは忘れたが、子どもを差し出すときにずいぶんとごねた親がいただろう。そいつらの差し金じゃないのか」
「なんだと…!?」
「いいえ、違います!」
 ここで、女の声。
「姉夫婦はすでに亡くなっています! 今更誰がそんなことをするもんですか!」
「ああ、そういえばお前んとこの姉貴の子どもだったな。……ったく、持ち回りだってのにあんときゃ散々文句言いやがって…」
 そうか。生贄は順番で決めているのか。そうして、結衣だか舞衣だか判らないが、どちらかは今叫んでいる女の姪にあたるらしい。
「私は文句なんか言っていないわ! 姉を説得したのは私だもの!」
 とんでもない叔母がいたものだ。もうこいつらの差し金ということにしてやろうかと一瞬思ったが、話がややこしくなるので止めた。
「金で動いたくせに偉そうなことを言うな!」
「十年も前のことを持ち出さないで! 今重要なのはそこじゃないでしょう! 生贄が処刑されるまでの辛抱だって言うから、うちの子も人質にしてあげてるのに…」
「そうだ、まず生贄を選ばないと…!」
「だから、どうやって選ぶんだ!?」
「誰か、村の為に子どもを差し出せ! なにを躊躇うんだ、これは誉れ高いことなんだぞ!?」
 そろそろ頃合いだろう。
 シロは、手にした短剣の柄で天窓を叩き割った。下にヒトがいることは重々承知の上だ。頭上から降ってくる薄い硝子破片くらいどうだというのだ。あの子どもたちが受けてきた仕打ちに比べれば、傷のうちにも入らない。
「お、お前…!」
 教室の中央に降り立ったシロに、怯えが混じった声を上げたのは邸の主人らしき男だった。昨日は暗かったのでろくに見えていなかったが、声を覚えている。
「…金貨は用意できていないみたいだな」
 意識せずとも低い声になる。シロは苛立っていた。
「こ、子どもを返せ!」
「なんの為に」
「なんの為って…それは」
「鬼への供物とする為だろう?」
 手拭いで顔を隠しているので、村人たちからはシロの目しか見えていない。だからこそ、威圧感には事欠かない。
「なぜそれを…」
「あんなガキどもに殺し合いなんかさせようとはな。どっちが鬼だかわかりゃしねぇ」
「よそ者が偉そうに…。あれを差し出さなかったら、この村がどんな目に遭うか!」
「そうまでしなきゃ守れない村なら、いっそ滅んじまえよ」
 凍てつく視線に、村人たちがたじろいだ。
「なんなら手伝ってやるよ。……俺が、今、ここで」
 そう言って、シロは短剣を鞘から抜いた。
 ミドリと話した時点では、ここまでする気はなかった。話し合いの場を設けるだけのつもりだったのだ。しかしやってしまったことは仕方がない。状況は刻一刻と変わるのだ。

―――滅んでしまえ。

 かつて、シロは同じことを強く強く思ったことがある。
 無実の婚約者を処刑した神に。
 そのことを、仕方がないと諦めた同胞たちに。
 そして、事態を止められなかった自分自身に。

 婚約者を処刑されて、シロは神と同胞たちに牙を剥いた。それは復讐などではなかった。彼女が復讐を望まないであろうことは知っていた。
 シロはただ、行き場のない怒りと哀しみ、喪失感と罪悪感にさいなまれて暴れたに過ぎない。持て余した感情を、自分より弱い相手にぶつけただけなのだ。
 あの時の神や同胞たちが、怯える村人に重なって見えた。

 天窓から飛び込んできたので、シロは部屋のほぼ中央にいる。背後で動く男たちの気配にシロは気が付いた。これだけ緊張感を高まらせていれば、狭い教室の中くらい、誰がどう動いているのか目をつぶっていても分かる。
「顔を見てないから誰だか知らないが、さっきはずいぶんと舐めたことを言ってくれてたな。三人組のうち、女が二人なら勝てるとか」
 誰かが、こくりとのどを鳴らした。
「武器を取ってくるまで待ってやってもいいぞ。その場合、俺も手加減は出来ないだろうが」
 凄絶といっても差し支えない空気が、シロの周囲を覆っている。
「幸か不幸か今は俺一人だ。勝てるかもしれないな。武器を持って来れば」
 ゆっくりと、シロは教室内を見渡した。皆一様にシロの威圧感に圧されている。金縛りにあったように、その場を動かない。
「………どうした。取りに行かないのか。なら束になってかかって来いよ。それとも、抵抗しないガキ相手じゃなきゃ怖くてなにも出来ないか?」
 挑発的な態度に、まず挑んできたのは年若い男だった。
「うおおっ!」
 金縛りを振りほどくように雄たけびをあげつつ殴りかかってくる男を、シロはひょいと身を引いて躱した。躱したことで男はたたらを踏み、シロの背後にいた男ともつれて転がった。転がった二人に短剣の柄を叩きこむと、それきり二人は動かなくなった。
 ざわざわと、村人たちが動揺している。シロは、面白くもなさそうな顔で彼らを見渡した。
「なんだよ。終わりか? つまんねぇな」
 ひっと声を上げて、教室から出ていこうとする女がいた。シロはその場から動かず、短剣の柄に仕込んでいた小柄を抜き取って投げた。それは女の髪をかすめて戸口にささり、女は悲鳴も上げずにその場にへたり込んだ。
「わ、わた、わたし、女、なのに…」
 女が上げた非難めいた言葉を、シロは鼻で笑った。
「俺は善人でも紳士でもない。子どもに容赦しないような女に容赦してやる義理もない」
 とはいえ、シロが本気で殺す気なら、小柄は戸口ではなく女の首に刺さっていたのだが、それを教えてやる義理こそない。
 硬直する村人たちに、シロは宣言通り容赦をしなかった。さほど広くもない教室内で逃げ惑うものたちを、次々に殴っていったのだ。最後の情けで、短剣の刃の部分は使わなかったが。窮鼠のように向かってくるものもいたが、どう贔屓目に見てもシロの相手ではなかった。
 やがて、三十人余りいた村人たちは、たった三人、立っているだけになった。
「た、助けてくれ…。なんだ? なにが望みだ? 金を払えばいいんだろ、止めてくれるならいくらでも…あぅっ!」
 みっともなく縋ってくる男の腹に、シロは無言で短剣の柄を叩き込んだ。冷徹、ともとれる行動だった。残る二人のうち、一人の女はその場に座り込んでがたがたと震えている。もう一人は、老いた男だ。この場において、唯一怯えた表情を見せていない。
 女に背を向け、シロはその老人に切っ先を向けた。
「ずいぶん冷静だな、じいさん」
「これでも驚いておるよ。……まさか、この短時間で皆殺しにするとは…」
「誰も殺してねぇよ。人聞きの悪いことを言うな」
「同じことだろうよ。殺そうと思えば出来たのだろう」
「否定はしない」
「繰り返しになるが…。なにが望みだ?」
「望み…ね。お前らこそ、なにを望んでるんだ?」
 聞きながら、シロは振り向きざまに回し蹴りをした。座り込んでいた女が、後ろから襲ってきていたからである。
 女がくたりと横たわるのを待ちもせず、シロはもう一度聞いた。
「なにを望んでいたらここまで出来るんだ?」
「鬼だよ」
「鬼ならもういない」
「我々が、だ。さっきお前さんも言っていただろう。……ここは、鬼の村なんだよ。皆、鬼に憑りつかれている。鬼から逃れるために、鬼になったのだ。もう、こうするしかこの村が生き延びる術はない」
「自覚あるのかよ。始末に負えねぇな」
「そうでなければ生きられなかった!」
 声を荒げ、老人はシロに詰め寄る。
「よそ者はあの災厄の恐ろしさを知らんだろう! 疫病、干ばつ、洪水、疑心暗鬼による陥れ合い…。どれほどこの村が苦しんできたか!」
「人間は病にかかるもんだし、干ばつも洪水も地域によっちゃ毎年だろう。疑心暗鬼はお前らの弱さだ。甘えるな」
「なにが悪い!!」
 のど元に突き付けられている短剣の刃を、老人はぐっと掴んだ。じわりと血が染み出てくる。
「鬼に供物を与えることで村人の気が休まるのだ! 多少の災厄も、供物のおかげでこの程度で済んだと納得できるのだ! 村人の結束力も強くなった! それもこれもみんな…」
「鬼のおかげ、か?」
 老人が止まった。
 シロの視線は凍るように冷たい。
「なるほど。すべての災いを鬼のせいにすることで、自分たちには非がないと思い込めるわけだ。そりゃありがたいな。よかったな、鬼が呪ってくれて。お前らはずっと被害者面していられる。被害者面して、ガキどもを殺せる。………あれ、実は口減らしの意味合いもあるんだろ?」
 否定の言葉は返ってこなかった。
「村の人口は減る一方。ヒトが少なきゃ農作物も少ない。下手に今まで生贄なんか出してたから、ほかの町と取引もしづらい。一方で、供物を出そうが天災は訪れる。働けない子どもは少ないほうがいい」
 ミドリは言っていた。いつのころからか、年端もいかない子どもたちが生贄に選ばれるようになったと。それはつまり、働ける大人は残しておきたかったということだろう。それにミドリは、鬼役は少年だと思い込んでいた。実際、以前は少年が選ばれていたのかもしれない。しかし今現在選ばれているのは少女だ。これは将来、働き手になるであろう男児を残す為だ。
「全部お前らが生きるためで、鬼を鎮めるためでもなんでもねぇな。……救いようがねぇ」
「きれいごとを…」
「言ってるのはお前らだろ。村のために犠牲になる命から目を背けてるんだからよ」
 老人が握ったままの短剣を、シロは鋭く引いた。老人が手を放し、血しぶきが飛ぶ。シロの顔にも。
「本気で命を守ろうと思ったら―――生きようと、生かそうと思ったら、いくらでも汚くなれるもんだろ」
 今まさに、シロが縋るように生きているように。
 シロは踵を返した。
「ガキどもを返すつもりはない。ほかに生贄探そうとしたら、その時点でこの村を焼き尽くしてやるから、そのつもりでいろ」
 すたすたと歩いて、戸口に刺さったままだった小柄を引き抜く。短剣に収めてから、シロは外に出た。
 相変わらず、空は憎らしいほど晴れていた。

 校庭の脇にある、井戸に立ち寄った。もう必要ないだろうと、手拭いを顔から外す。老人の血が付いていた。
 手拭いで短剣の血を拭ってから水を汲み、洗う。老人の言葉が頭の中で何度も繰り返されていた。

―――鬼に供物を与えることで村人の気が休まるのだ!
―――多少の災厄も、供物のおかげでこの程度で済んだと納得できるのだ!
―――村人の結束力も強くなった! それもこれもみんな…

 ああ、そうだろうなとシロは思う。
 かつて、自分の婚約者は進んで生贄となった。そのおかげで、神の怒りは収まり、彼女を心から弔うことで同胞たちの結束力は高まっていた。

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