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 事の始まりは、神たちのお家騒動だ。当時神たちには、シロと婚約者、そしてほかに四人の守護者がいた。
 天孫降臨からずっとこの世界を治めていた神の長老は、いつのころからか自分の寿命が永くはないことを悟っていた。そこで、一族を集めて次の天頂を決めた。名指しされたのは、当時まだ少女と言ってもいいほど若い女神だった。しかし長老の唯一の孫娘である彼女は、その指名を辞退した。長老はこれを受け入れ、では話し合って決めろと言った。そうして、どこにでもあるお家騒動が勃発したのだ。
 神の一族は、もともとこの星の生まれではない。彼らの母星は生態系の異常によりすでに息絶えた。彼らはその星の生き残りで、シロたち六人の従者を連れて母星を脱出したのだ。そうして見つけたのが、今いるこの星である。神はこの星の先住民たちと対話し、自分たちの技術や医術を無償で分け与えることで、この世界での地位を確立していった。もともと争いを好む種族ではない。穏やかに、しかし確実に神の存在はこの世界に浸透していった。
 平和なはずだった。平和だと思っていた。しかし争いの種は、すでに前の星にいるときから芽吹いていたのである。
 長老が次代を決めると言ったのは、約百五十年前だ。ところが女神が指名を辞退したことで、ほかの神からの不満が噴出した。
 長老が女神を指名することは、なんとなくほかの神たちも判っていた。だが前述のとおり争いは好まない種族だ。尊敬できる長老の孫娘なら仕方がないと納得しようとしていたのに、女神はそのありがたいはずの指名を辞退した。しかもその理由は、「好きなヒトがいるから」という、それだけだった。
 特定の相手が出来れば、平等な政は出来ない。だから辞退すると女神は言った。むろん、ほかの神たちはその相手を婿にするようにと勧めた。そうして二人でこの星を治め、周囲が補佐をすればいいと。しかし女神はこれも断った。相手の名前を決して明かさず、婿にする気はない、静かに想っていたいから放っておいて、と。
 長老の孫娘であることの責任を放棄した、と取られても仕方がなかった。実際、シロもそう思っていた。だが、その時点では正直どうでもいいと思っていたのだ。誰が次代になろうと、シロの役目に変わりはない。婚約者とともに神を守っていればいい。そう思っていた。
 女神に期待しなくなった神たちは、我こそはと名乗りを上げた。同胞たちの足を引っ張り、わずかな手柄も大きく自慢し、長老への自己主張を隠さなかった。これには、長老もシロたち守護者たちも呆れざるを得なかった。

 そんなある日、件の女神が自殺した。服毒自殺だった。
 遺書が、遺されていた。
 あのヒトと一緒にいたい、でも結ばれることは無い、いっそ心中したい、でも巻き込みたくない、醜い心を知られたくない。
 そのようなことが、切々と綴られていた。相手の名前は、ついに明かさぬまま。
 これに大きく心を乱したのが、長老だった。彼はまず相手探しに躍起になった。しかし女神は本当に誰にも名を明かしていなかったし、心当たりがあるものもいなかった。相手が見つからないと悟るや否や、今度は孫は殺されたのだと長老は喚き始めた。
 長老は、とにかく孫を失った絶望を誰かにぶつけたかったのだろう。今のシロならよく解る。毎日毎日、お前が殺したんだろうと誰かを責めた。相手は毎日変わった。殺していないなら証拠を見せろと喚き、落ち着いてくださいと進言した者には鞭をふるい、犯人を庇っていると決めつけた。いもしない犯人探しがどれほど続いただろうか。神たちもシロたち守護者も疲弊の色を隠せなくなったころ。
 シロの婚約者が立ち上がった。

―――私が、犯人として名乗り出ましょう。

 もちろんシロは止めた。必死で止めた。なら俺が代わりにとまで言った。しかし、婚約者は緩やかに首を振るばかり。
 毒殺ならば、女の犯行であるほうが自然。それに、女神の専属守護者は自分。女神が亡くなった時、誰とも一緒にいなかったのは自分だけ。それが、彼女の言い分だった。
 ふざけるな、シロはそう怒鳴った。彼女を止めるためならなんでもするつもりだった。
 なのに、シロは止められなかった。どうか頼むと神たちが彼女に頭を下げたのだ。この瞬間の失望感を、シロは生涯忘れることはないだろう。
 婚約者を連れて逃げようとしたシロは、神の力によって気絶させられた。その間に、彼女は処刑されてしまった。神に預けていた命宝を砕かれて。シロが駆け付けた時、彼女はゆっくりと後ろに倒れていくところだった。彼女の命宝は珊瑚の色で、砕かれたそれがきらきらと舞っていた。シロは、動くことが出来なくなった。
 婚約者を処刑したことで気が済んだのか、間もなく長老は息を引き取った。穏やかな死に顔だった。その葬儀が終わってから、婚約者は手厚く葬られた。そうして誰かが言った。「この犠牲は、必要だった」と。この瞬間、シロは剣を手に取った。衝動に突き動かされるまま、目に映るものを片っ端から斬った。その場にあった家具も、飾られていた花も、机や椅子も、逃げ惑う神たちや、同胞でさえも。血に染まっていくシロ。傍らには、見事な装飾品が付いている棺桶に横たわる婚約者。しかしこの時のシロには、婚約者は見えていなかった。ただ、失ったという現実だけが見えていた。シロは暴れた。雄叫びをあげた。それでも、もう二度と返ってこない。
 やがて、生きているのが一柱の神とシロだけになったころ、シロは神から命との交換条件を出された。
 間もなく、シロはクロとともに神関を出奔した。そして、今に至る。

 頭を冷やすために村の中をうろついてから廃寺に帰ると、クロとミドリ、そして少女たちが仲良く本殿の掃除をしていた。不慣れな手つきで雑巾を絞っていた少女たちだったが、シロの姿を見つけた結衣が、驚いた顔で固まる。その肩を、傍らにいたクロがぽんと叩いた。
「大丈夫よ。さっき言ったでしょ? あのヒトはあたしの兄貴でね。悪人面をしている悪人に見えるけど実は悪人じゃないの。怖がらなくていいよ。ちょっと目つきが悪くて言葉遣いも悪くて粗暴で不器用でぶっきらぼうなだけだから。安心して」
 その説明のどこに安心要素があるというのだろう。
「まあ、クロさん。お兄さんをそんな風に…。シロさんは、まあ、確かに、背が高くて威圧的ですし、柔和とは正反対のところにいらっしゃいますし、きめ細かい作業や他人の心情の機微には無頓着のように見えますけれど……。それだけじゃないですか」
 それだけあったら十分だ。
 シロはがりがりと頭をかいた。
「言いたいことはそれだけか」
「あ、おかえり」
「おかえりなさい」
「………ああ」
「あの、それで、どうでした? 村のほうは…」
「あー………と」
 歯切れが悪くなる。ついかっとなってその場にいた全員をしばき倒して来た、とは言いにくい。しかし黙っているわけにもいかない。
 少女二人には本殿の中の拭き掃除を続行してもらって、三人は外に出た。井戸の近くまで移動する。怒られるだろうが仕方がないと腹をくくって、シロは大体のあらましを話していった。話している間にクロは呆れ顔になり、ミドリは哀しそうな表情になる。
「…それで、村人たちを叩きのめして戻ってきたの?」
「まあ、そういうことになる」
「話し合いの場を設けるために行ったんでしょ」
「しょうがねぇだろ。状況に応じて臨機応変に動いただけだ」
「ミドリには冷静がどうとか言っといて?」
「それについては返す言葉もない」
「なに威張ってんのよ」
「けどあの村に更生の可能性は残ってねぇよ。説得するより村を焼き尽くした方が早い」
「盗賊より性質悪いでしょうが!」
 べしりと額にクロからの手刀を食らう。それなりに痛いが、ごもっともなので黙っておく。シロは、ミドリに向き直った。
「悪かった」
 素直に頭を下げるシロに、ミドリは静かに首を振った。
「いいえ。むしろ、これで良かったのかもしれません。……あの村に、思いを残さずに済みます」
「あんたが村に行って話がしたいというなら、もう俺に止める権利はない。もちろん一人では行かせないが」
「そう…ですね。少し、考えます。今後のことを」
 つぶやくようにそう言って、ミドリは少し笑った。無理をしていることが痛いほど判る笑みだった。
「ありがとうございます、シロさん」
「…なにが」
「あなたが先に怒ってくださったことで、少しは冷静になれたような気がします。私が行っていたとしても、同じことを…。いえ、もっと悪い結果になっていたと思います。私には村人全員を倒すことは出来ないでしょうから」
「花嫁道具があるだろう」
「接近戦には向きませんし、やはりためらってしまうと思います」
「みどり」
 そこで、声がかかった。結衣と舞衣が本殿から顔を覗かせている。
「はい。どうしました?」
「あのね、びしょびしょ」
「おけ、たおれた」
「あらあら」
 言いながら、ミドリが駆けていく。その後姿を見ながら、シロは息をついた。責められるなら甘んじて受けるつもりだったが、責められないとなるとどうしたらいいのかわからない。
 クロと目が合った。
「シロの馬鹿。ほんと馬鹿」
「……だから、悪かったよ」
 ばつの悪い顔をするシロをじろりと見上げていたクロだったが、やがてふっと笑った。
「まあ、シロらしいけどね」
 くすくすと笑う。
「正直、ちょっとすっとしたし」
「そうかよ」
「でもやりすぎ。向かってこない相手までぶちのめすことなかったでしょ。反省してください」
 ぴしっと人差し指を立てるクロに、シロは肩をすくめた。
「けどさ」
「ん?」
「結衣ちゃんにあの命宝を渡したのって、結局誰なんだろうね」
「ああ、なんか聞き出せたか?」
「さっきシロも聞いた以上のことは無いな。ある日、学校から帰ってきたら手紙と一緒に置いてあったって。それだけ。学校に行っている間は部屋に鍵もかかってないし、農作業やら買い物やらで邸が無人になることもあるみたいだから、忍び込むことは誰にでも出来たんじゃないかな」
「その手紙は、まだ邸にあるのか?」
「捨ててはいないって言ってたけど、どうだろうね。先月の話だし、部屋の掃除は使用人がしていたみたいだから、捨てられてる可能性大かな」
「手がかりなしか…」
 シロは考えた。あの命宝を盗賊の手から盗んで少女に渡すことで、誰になんの利益があるのか。手紙には、いずれ大きな男が取り返しに来ると書いてあったという。しかしシロたちを街道で襲ってきたあの男は、村のことは何も言っていなかった。つまり命宝がある場所を知らなかった。知っていれば、シロたちを襲うような無駄な真似はしなかっただろう。
「あの命宝、返してあげたいな…」
「お前な…。今はそれどころじゃないだろう」
「わかってるけど。この依頼が落ち着いたら。待っててって言ってあるし」
「……好きにしろ」
 まあ、探す手間が省けた分楽になったのかもしれない。
 しかし問題は、これからどうするか、だ。こればかりは、依頼人の意向を聞かなければ動けない。まだまだ面倒ごとからは抜けられそうになくて、シロは青い空を仰いだ。

「私、村に行ってきます」
 ミドリがそう言ったのは、その日の夕飯を食べている時だった。
「なら、俺が付いていく」
 即座に反応したシロに、ミドリは首を横に振った。
「いいえ、一人で行かせてください」
「言っただろう。一人では行かせられない。村の連中は殺気立ってるんだ。どんな手段に訴えてくるか」
「それ、半分くらいはシロのせいだけどね」
「半分で済んでるなら軽いもんだな」
 軽口をたたきあうシロとクロには乗ることもせず、ミドリは茶碗と箸を置いて座りなおした。
「シロさんに来てもらえれば心強いのは確かです。けれども、それでは村人にいらぬ緊張を与えてしまうでしょう。それこそ、話し合いなど出来ません」
「まだ話し合う気か。無駄足になるぞ」
「それでも、私自身が話をしなければならないと思うんです。鬼の妹として」
「でも一人じゃ危険だよ。あたしも付いていきたいところだけど、シロに結衣ちゃんと舞衣ちゃんを見ていられるとは思えないし」
「まったくだ」
「なに威張ってんのよ」
「いいえ」
 ミドリの声は固い。それはそのまま決心の固さだ。
「申し上げた通り、私は鬼の妹です。そんな私が護衛を連れて帰ってきたら、それこそ鬼の報復だと思われます。一人で、丸腰で、対話をする姿勢を見せるべきです」
「なら、離れて付いて行けば…」
「お二人には、別に頼みたいことがあります。追加の依頼です。報酬は上乗せいたします」
「なに?」
「結衣さんと舞衣さんを、ここから少し東にある村に連れて行っていただきたいのです。佐井府という村です。ここからなら、二人を連れていても二日もあれば着きます。私が薬師をしていた村で、二人を連れていくことは、すでに村長に話を通してあります。二人を住まわせることは、快く承諾してくださいました」
 そう言って、ミドリは自分の巾着から念珠を取り出した。渡されたシロが、その念珠を握ってじっと見つめる。
「持って行ってください。これを見せれば、村長は解ってくださいます」
「けど、ミドリは」
 心配そうな顔をするクロに、ミドリは微笑んだ。
「話し合いがいつまでかかるかわかりません。二人には、出来るだけ早くにもっとちゃんとした場所で暮らしてほしいのです。佐井府も小さな村ですが、ヒトは暖かいし商店もあって、生活するのに不自由はありません。もちろん学校もあります」
「それはいいことだけど、でも」
「もしも、私がこの廃寺に戻るところを村人につけられて、二人の姿を見られたら。そうじゃなくても、村人が総出でこの辺りの捜索をし始めたら。そちらのほうが心配だとは思いませんか」
「で、でも…」
「私なら心配はいりません。丸腰と言っても多少の体術なら身に着けていますし、もともと村の出身です。私を知るヒトはもういませんが、内情を知っている相手なら少しは話もしやすいでしょう」
「ミドリ…」
「お願いします。お二人にしか頼めないんです」
 ここまで言われては、クロも嫌だ残るとは言えない。
「わかった」
 やがて、答えたのはシロだった。
「ありがとうございます」
「しかし期限は決めさせてもらう。儀式まであと五日。それまでにあんたが佐井府とやらに来なければ探しに行く。文句は無いな?」
「ええ、それで結構です」
 ミドリはにっこり微笑んで、シロに頭を下げた。
「この二人のこと、よろしくお願いいたします」
 頭を下げた拍子にミドリからふわりとあの香りが漂ってきて、シロは顔をしかめた。

 翌日は曇天だった。シロの読みが確かなら、夕方には雨が落ちてきそうだ。
「では、みなさん。また数日後に」
 ミドリは微笑んで、結衣と舞衣に視線を合わせて屈んだ。
「あなたがたは、なにも心配しなくて大丈夫です。これからは、きっと楽しい毎日を送れますからね」
「みどり、いつくるの?」
「きっとすぐに」
「うそ」
「え…」
 ぽつりと言った舞衣に、ミドリはぎくりとした表情を見せた。
「嘘ではありませんよ。すぐに、みんなに会えます」
「ほんと?」
「ええ、本当です」
 ミドリは、よしよしと両手で二人の頭を撫でた。舞衣はもう、振り払うことはしなかった。
「参りましょう。子ども連れの移動ですから、お二人にはご苦労をおかけいたしますが」
「いいよ、そんなこと。それよりも、気を付けてね。話が通じないと思ったら、絶対に無理はしないで」
「ありがとうございます。クロさん。大丈夫、無理はしませんから」
 クロに笑ってから、ミドリはシロに向き直った。
「……よろしくお願いいたします」
「ああ」
 シロの返事はそっけない。けれど、ミドリは笑みを深くした。
「シロさん、実は照れ屋でしょう」
「あ?」
「優しさを与えることも与えられることも、照れくさいだけなのでしょう?」
「わけのわからんことを言うな」
「常に自分ではない誰かのことを想って行動していらっしゃいますよね。…誰のことかは存じませんが」
「……だから、わけのわからんことを…」
「あなたはとても優しい方です。やはり、あなたがたに依頼して良かったと、心から思います」
「言葉よりも報酬に上乗せしてくれ」
「ええ。それはもちろん」
 お見通しのようなミドリの微笑みが、シロの居心地を悪くした。
「では」
 ミドリは軽く頭を下げてから村のほうへと歩き出した。
「ミドリ…」
「行くぞ、クロ。俺たちは依頼を遂行させることを考えればいい」
 そう言って、シロはミドリとは反対方向に歩き出す。いつまでも見送ることは、ミドリに対して不義理のような気がしていた。それは、クロも同じ気持ちのようだ。
「うん…。そだね」
 右手に結衣を、左手に舞衣を連れてうなずいたきり、クロも振り返りはしなかった。
「行こう」

 雨が降り出したのは、一行が佐井府に入ってすぐのことだった。
 それから三日間、雨は降り続けた。

 そして、ミドリは来なかった。

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