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 翌日。俺は久しぶりに高校へ行った。そうなるだろうなと思っていた通り、誰もが一度は俺を見た。教師も生徒も、どれもこれもが気の毒そうな目で。

 百万人の同情で親父が帰ってくるというのなら、いくらでも受け入れるのに。

 ………サボるか。

 もう何日も休んでいるのだから、今日から行っても明日から行ってもさほど変わりはしないだろう。

 あっさり決めて踵を返すと、一人の教師と目が合った。思わず顔をしかめてしまう。担任の黒崎だ。黒崎は、一瞬驚いたような顔をしてから笑いかけてきた。

「来たか、中村。もう、いいのか?」

 今まさにサボろうとしていたのだとは言えず、俺は曖昧にうなずいた。

「そうか、大変だったなぁ。親父さんと仲良かったもんな。つらかったと思う」

 返事はしなかった。俺にとってはまだ過去形じゃない。

「困ったことがあったらなんでも言ってこい。どんなことでもいいんだ。親父さんも応援してくれてるからな。きっと大丈夫だ」

 何が大丈夫だ。今現在、あんたの無神経さに困っているんだが。しかし担任に見られた以上、今日サボるのは無理だろう。舌打ちしたい気持ちをこらえる。

「ところで、お父さんを撥ねた犯人だが…」

 黒崎の声のトーンが一段落ちた。

「警察は、何か言って来たか? 捜査は進んでいそうか? 早く捕まらないと、お前も気持ちの整理がつけられないよな」

 整理などつけられるものか。こいつがそばにいる限り。

 睨みつけるつもりはなかった。だが結果的に、俺は相当冷たい視線を担任に投げかけたのだと思う。黒崎はやっと黙った。

 俺は何も言わず、再び踵を返した。教室に向かえばまた黒崎に会わなければならないが、ここで帰るのも癪だ。扉を開けると、ざわめいていた室内が一瞬だけ静まった。

 なんでもないふりをして机に向かう。俺がいない数日間も掃除はされていたらしく、机の上は綺麗だった。

 ほとんど何も入っていない引き出しの中に、見覚えのないルーズリーフが束ねてあった。なんだこれ、と思って見てみると、俺が休んでいた間の全授業のノートだった。一番上の用紙に付箋が貼ってあって、「参考にしてください。女子一同」と書いてある。黒崎のせいでささくれ立っていた心が少し落ち着いた。世話好きの女子委員長あたりが提案してくれたのだろう。ぱらぱらとめくってみると、一枚ずつ筆跡が違っていた。本当に、女子一同が協力して書いてくれたらしい。

 余計な慰めの言葉がないことが、むしろ嬉しかった。黒崎よりよほど気遣ってくれている。とりあえず手近な女子に礼を言っておくべきだろう。

 そう思って立ち上がって、気が付いた。

 タケトが来ていない。

 この時間に来ていないとは珍しい。普段は俺より遅く来ることなんてないのに。ほかにも空席があるようだが、廊下側一番前にあるタケトの机が空なのは目立つ。

 昨日、部屋の片付けは終わらなかったので、タケトが帰っていったのは夜だ。二人でだらだら喋りながらダンボールを開けて、中のものを出すだけで暗くなってしまった。だから、明日学校から帰ってきたら続きをしようと約束した。夕飯は俺が二人分作った。以前は親父と家事を分担していたので、俺は一通りの家事ができる。帰宅するとき、タケトは明日学校で、と言った。確かに学校で会おうと言ったのだ。続きは明日、とも。それは明日から学校に来いという意味で、俺は軽く手をあげて応えた。 

 なのに、チャイムが鳴って黒崎が入ってきても、タケトは来なかった。

 机の下でこっそり携帯電話にメールをしてみたが、返事は来ない。親父のことがあったばかりなので、さすがに不安になる。朝礼が始まる前までに学校に欠席の連絡があれば、黒崎が「今日、○○くんは○○の為お休みです」と言うはずだが、担任教師は何も言わない。ということは、たぶん学校に連絡は入っていないのだ。

 朝礼が終わったら電話をしてみるか。頬杖をついて考えていると、廊下を走る音がした。タケトかと思い顔を上げると、扉を開けたのは副担任だった。学校の廊下を教師が走るとは何事かと思ったのは俺だけではないはずだが、誰も何も言わなかった。黒崎が「どうしました」と言いながら廊下に出ると、少しだけ教室がざわついた。見計らったように、携帯電話が震えだす。机の下でそっと見ると、タケトからの返信メールだった。

 とりあえず生きているらしいと、ほっとして受信箱を確認する。そこには、こうあった。

 

―――吾輩はタケトである。

 

 知っている。

 なんのつもりだ、あのバカは。なんのつもりでもないのかもしれない。あいつが笑いを取る為だけに俺にくだらないメールを入れてくるのは珍しいことではない。

 けれど、引っかかった。タケトは確かにあらゆる手段を使って笑いを取ろうとしてくるが、時と場合はわきまえる奴だ。

 黒崎はすぐに教室に戻ってきた。顔つきが固い。

「あー、今日は、草野と大木は欠席だ。朝礼を終わる」

 それだけ言って、足早にまた出ていく。今度こそ遠慮なく、教室内が騒がしくなった。一限目が始まるまで、あと十分。俺はベランダに出てタケトの携帯電話を鳴らした。出ない。メールはできるが電話は取れない状況にいるということだろうか。

「恭介!」

 と、教室内から声がかかった。クラスメートの林が慌てた顔で窓を開けてこちらを見ている。

「タケトが大木と殴り合って警察にいるってよ!」

 俺は、かなり間の抜けた顔をしていたと思う。言われたことの意味を把握するのに時間がかかった。

「タケトが…なに?」

「だから、大木と乱闘になって病院送りにして警察に捕まったって」

「なんだそれ」

 にわかには信じがたい。あのタケトが乱闘? 確かに普段は他人をおちょくって遊ぶような奴だが、本気で他人と殴り合うなど、最近は考えられなかったのに。

「どこからの情報だ?」

「西野が職員室で盗み聞きしてきた」

「………じゃあ、確実だろうな」

 西野というのもクラスメートで、教室中どころか学校中で一番ではないかと言われるほどの情報通だ。他人のうわさが大好きだが、根も葉もないことは言わない奴だ。たぶん。

 ため息をついて、教室に戻った。本当に警察署にいるなら、電話などかけても無駄だろう。

「で、なんでそんなことに?」

「さぁ。タケトは沈黙してるらしいから」

「西野は?」

「さらなる情報を求めて職員室へ」

 二度目のため息。携帯電話は静かだ。少し迷って、「なにしてんだ」とだけ返信した。

 

 一日が長かった。西野は結局タケト黙秘以外の情報を掴めず、悔しがっていた。他のクラスメートが大木の方にも連絡を入れてみたが、こちらからの情報もなし。病院にいるなら携帯電話は電源を切っているのかもしれない。

 タケトと大木は、もともとさほど仲が良くない。というより悪い。タケトは人当たりがよく誰とでも気安く話すが、大木にはそれが「へらへらしやがって」と映るらしい。その後にこう続く。「親が弁護士だからって調子に乗りやがって」と。

 タケトの父親がこの辺では有名な弁護士であることは確かだが、結局は大木の妬みで僻みだ。俺の知る限り、タケトは一度も自分から父親の名前を出したことはないし、それを笠にきたこともない。ないのだが、大木は、自分がうまくいかないことをすべてタケトのせいにしている節がある。確かにタケトがいなければ彼が学年首位の成績をとるのだろうが、そんなものは後付けだ。要するに、虫が好かないということなのだろうと俺は解釈している。

 一方のタケトは、そんな大木を相手にしていなかったはずだ。つっかかってこられてもいつも適当にかわしていた。あいつが大木の話題を自分から出したこともない。だから不思議だった。大木がタケトに殴りかかっても不思議には思わないが、逆となれば話は別だ。なぜ、そんなことになったのか。

 タケトの警察沙汰に、教師たちは明らかに動揺していた。無理もない。タケトは入学してから一度も成績学年首位の座を譲ったことはなく、かといってそれを鼻にかけることもなく、学校の人気者で問題を起こしたことなどない。大木にしても、多少気難しいところはあるが目立った問題を起こしたという話は聞かない。俺が知らないだけで、西野あたりは何か知っているかもしれないが。

 動揺しつつも、教師たちは多かれ少なかれ俺のことを気にかけているようだった。これも無理のないことと言えた。男手ひとつで育ててくれた父親を交通事故で亡くしたのだ。教師ではなくとも同情したくなるだろう。授業に入る前に個人的に声をかけてくる教師もいれば、教壇にふんぞり返って日常の大切さを説く教師もいた。

 まあ、それはいい。誰が何を言おうとも、親父は帰ってこないのだ。だから、もうどうでもいい。

 だが。

 

―――オレは、恭介ですか? いいえ、タケトです。

 

「だから、知ってるって言ってるだろうが!」

 やっと返ってきた二度目のメールに、思わず叫んだ。

 中途半端な説明をして心配をかけたくないと思っているのかもしれない。まだ長文メールを返せるような状況ではないのかもしれない。それは認めるがしかし、絶対にそれだけではない。あいつ、この状況を楽しんでやがる。

 やっと一日の授業を終えて、時刻は午後三時五十分。そろそろ終礼が始まる。

「タケトから?」

 前の席に座る林が聞いてくる。俺は黙ってメール画面を掲げてみせた。

「おお、いつもと変わらないな」

「全くな」

 ため息交じりに応えたところで、黒崎が入ってきた。

 

 終礼が終わると同時に、俺は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がって、駆け出した。投げつけるように上靴を置き、スニーカーに履き替える。愛用の自転車に跨って思い切り漕ぎ出した。風は冷たかったがさほど気にはならなかった。

 学校から草野家までは、普段なら自転車で十五分ほど。だが今日は、懸命に漕いでいたら八分で着いた。約半分だ。

 まだ警察署にいるという可能性も考えていたが、チャイムを押すとすぐに返答があった。

「いらっしゃい」

 出てきたのはタケトの母親である恵子さんだったが、ちらりと見えた玄関の三和土には確かにタケトのスニーカーがあった。

「もう学校に行ってるの? がんばってるのね」

 俺の制服姿を見て、恵子さんはそう言った。

 親父が亡くなった時、草野夫妻はそろって通夜にも葬式にも来てくれた。ひたすらに呆然として何も口にしていなかった俺に、なんでもいいから胃に入れなさいと野菜スープを用意してくれたのも恵子さんだった。

 あの時は、ろくに礼も言わなかった。

「あの、ありがとうございました。葬儀の時、いろいろと…」

「あのくらい、なにかしたうちには入らないわ。上がりなさい。タケトを呼ぶから」

 そう言って微笑する恵子さんは、不思議なヒトだ。

 高校生のタケトと大学生であるその姉という二人の大きな子どもを持っているようには見えないほどきれいで若いのに、その佇まいには百年や二百年は生きた仙人のような風格がある。いや、実際に仙人に会ったことはないのだが。

 しなやか、と言うのが近いだろうか。ともかく、このヒトが動揺する姿を想像できない。

「お邪魔します」

 片付けられたリビングに通される。ソファに座ると、程なく階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

 がちゃりと音を立てて扉を開けたタケトは、俺を見るとふと笑う。

「恭介じゃないか。久しぶり」

「昨日ぶりだよ」

「そうだっけね。で、どうしたの?」

「どうしたの、だと…?」

 笑みを絶やさないタケトを、俺は睨んだ。いや待て、落ち着け。

 小さく息をついて、俺は言った。

「お前が大木を殴って病院送りにした挙句にとうとう前科持ちになったって聞いたから、そのツラ拝みに来てやったんだよ」

「それはわざわざどうも。でも残念だけど、ご希望には添えないな。オレはまだ地毛なんだ」

「ヅラじゃねぇ」

 低く返したところに、恵子さんがコーヒーを持ってきてくれた。上品なカップから湯気が立ち上り、香ばしいにおいがただよう。余談だが、恵子さんが淹れてくれるコーヒーはびっくりするほどうまい。

 一口飲んでから、俺は再び口を開く。

「…お前、怪我は?」

「これだけ」

 ひらりと、タケトは右手を振る。真白い包帯が巻かれていた。俺と違って特に武道をやっているわけでもないタケトが、素手でヒトを病院送りにするほど殴ったのだ。手が無傷であるわけがなかった。包帯から出ている指も赤々と腫れているのが見えて痛々しい。

「何があった?」

「何、ねぇ…」

 右手はかなり腫れているようだが、それでも顔には目立った傷はない。

 ということは、本当に一方的に殴ったのか。タケトが。

 信じられない、とは思わない。だが理由がないとも思わない。

「あのね、恭介。何もない日なんてないんだよ。思い返してみなよ。何事もなかったはずのあの日のあれが、まさに「何か」だろう?」

「うるさい。そんな哲学的なこと聞いてんじゃないんだよ。今朝、お前と大木の間に何があったのかを聞いてんだ」

「何が起こったのかと聞かれれば、答えは一つだよ。オレが、大木を殴っただけ。全力で」

「だから、その理由は?」

「オレの拳が火を噴いたから」

「ふざけんな」

「失敬な。オレがふざけなかったことなんかないだろ」

「威張るな!」

 タケトはコーヒーをすする。笑っているように見えるが口元だけだ。

「タケト」

 チャイムが鳴った。見えるわけでもないのに、俺もタケトも玄関の方へ顔を向ける。応対する恵子さんの声が聞こえてきた。

「行こうか」

 そう言って、タケトは腰を浮かせた。

「誰だ?」

「たぶん、黒崎だよ。生徒指導部か、もしかしたら教頭か校長も一緒かもね」

 なるほど。

 俺たちはコーヒーカップを持って立ち上がった。

 

 草野家は、吹き抜けのある二階建ての一軒家だ。風通しが良く日当たりも良い。俺は生まれてこの方一軒家に住んだことがなく、幼い頃はうらやましいと思ったこともある。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。今重要なのは、廊下にある階段を上りきった部屋で扉を開けておくと、リビングの会話が聞こえるということだ。

 盗み聞きなど感心されないだろうが、ここは目を瞑ってもらおう。………誰かに。

 足音が響かないように階段をのぼり、息をひそめて部屋に入る。腰を落ち着けるとほぼ同時に声が聞こえてきた。

「わざわざご足労頂いて申し訳ありません」

 恵子さんの声。それに応じる男の声と女の声。男の方は黒崎だ。女の方は、たぶん教頭だろう。生徒指導部には女教師はいない。

 すぐにタケトを呼ぶのかと思ったら、黒崎はまず恵子さんに質問しているようだ。

「息子さんから、事情は聞かれましたか」

「いいえ」

「話してくれないという事でしょうか」

「いいえ」

「は?」

「訊ねておりませんから」

 この回答は意外だったようだ。俺にとっても意外だったが。

「なぜですか?」

「警察署で、殴ったということだけは認めました。それだけで十分です」

「理由は気にならないんですか?」

 この質問は教頭からだった。教師二人を相手にして、恵子さんはやはりまったく調子を崩さない。

「気になります。でも、だからといって話しなさいと強要はできません」

「息子さんのことですよ?」

「だからですよ。あの子は話すべき時に話すでしょう。そのくらいの判断はできる子です」

 タケトが笑うのがわかった。口元だけではなく。うれしいのだろうと、そう思った。

 母親がかばってくれるというのは、こんな感じなのか。俺にはもう一生感じることのできない気持ちだ。

 教師たちは二の句が継げないでいるのか、次に質問に回ったのは恵子さんだった。

「大木くんの傷の具合はいかがでしょうか。何度かお宅に電話しているんですがつながらなくて。警察署にも親御さんはお見えにならなかったし」

「彼の親は、両親とも出張中だそうです。明日にはお母さんの方が帰ってきます」

「お仕事で遠くへ?」

「いえ、場所までは聞いていませんが」

 聞いていない? 息子が殴られて病院へ運ばれたのに、親は帰ってこずに担任も居場所を聞いていないのか。双方ともにいささか無責任ではないだろうか。

 ちらりと大木を思う。いつもぴりぴりとして、近寄りがたい奴だ。近寄りたいと思ったことはないが、こんな時にも親は来ないのか。

「ちなみに、武人くんのお父さんは…」

「警察署から帰ってくるまでは一緒だったんですが、抜けられない仕事がありまして。今は裁判所の方へ行っております」

「そうですか。まあ、偉い弁護士さんですからね。私も、何かあったら草野先生に相談に乗ってもらいたいと思っているんですよ」

 嫌味な言い方だ。嫌味のつもりがないならやっぱりこいつは無神経だ。こういうのが嫌だから、タケトは自分から父親の名前を出さないのに。

「では、本人から事情を聞きたいので、武人くんを呼んでもらえますか?」

「お呼びだね」

 タケトの笑みが挑戦的なものに変わる。「ま、がんばれ」と呟くと、彼は片手を軽く上げて階段に向かっていった。

 残された俺は、ぬるくなったコーヒーに口をつけた。タケトは恵子さんにも事情を話していないという。ならば、あいつは教師にも何も言わないはずだ。どうやって切り抜けるつもりなのだろう。

「草野、いったい何があったんだ」

 挨拶もせず、黒崎はそう切り出す。

「大木は、ただ登校していただけだと言っている。急に殴られたって。本当なのか?」

「本当です」

 思いのほか、大きな声が聞こえてきた。俺に聞かせるため、というのは考え過ぎだろうか。

「なぜだ? お前は理由もなく他人を殴ったりしないだろう」

「そうですね。理由があって殴りました」

「理由というのは?」

「それは話したくありません」

 言い放ったタケトに、今度は教頭の声がした。

「草野くん、説明してください。学校としても、対処を考えなければなりません。大木くんの言い分だけを聞くわけにはいかないんですよ」

「話したくありません」

「先生はな、大木がお前のことをよく思っていないことを知っている。大木に何かされたんじゃないのか?」

「オレは何もされていません」

「じゃあどうして殴った!」

「話したくありません」

 埒が明かない。それでも、一つ分かったことがある。黒崎はいきり立って気付いていないみたいだが。タケトは今、「オレは何もされていない」と言った。ということは、誰かが何かされたのだ。たぶん、タケトはその場に居合わせた。巻き込まれたのかもしれない。ともかく、大木が誰かにした「何か」が、タケトの逆鱗に触れたのだろう。

 自分の為ではなく、誰かの為にタケトは暴力という手段に訴えたのだ。それなら納得できるとうなずきかけて、いやしかしと思う。

 本当にそうであるならば、大木はともかくタケトが黙秘する理由がない。

 その後、何を言われてもタケトが口を割ることはなく、教員二人は今日のところはと引き上げざるを得ないようだった。

二人が帰ってから、タケトは二階に上がってきた。とりあえず「お疲れ」と声をかける。

「まあ、そんなに疲れてないけどね」

 隣に座ったタケトは、ぬるいを通り越して冷たくなっているであろうコーヒーを飲んだ。そうは言っても息をつくところを見ると、やはり多少は気が張っていたのだろう。

 さて。

「帰るわ」

 立ち上がった俺を、タケトは意外そうに見上げた。いいの?とでも言いたげだ。

 確かに気にはなる。正直、問い質したい。大木の何がタケトをこうまでさせるのか。だが、どうしてもタケトが言いたくないのなら仕方がない。タケトは実は頑固だから、言わないと決めたのなら言わないだろう。ならば、俺にできることは一つ。

「まあ、どうしても話したくなったら聞いてやるよ」

 せいぜい余裕ぶって強がることだ。タケトはにやりと笑った。

「じゃあ、その時はよろしく」

 それから、ふと笑いを消した。

「恭介、悪いね」

「なにが」

「………。今日、片付けの続きをするって言ったのに。さすがに、家から出られないから」

 そんなことか。

「貸しにしといてやるよ。いつか利子付けて返せ」

「了解。何か切なくなるものつけて返すよ」

「楽しくなるものをくれ」

 軽く手を振って、俺は草野家を後にした。

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